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オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

圧倒的な迫力で迫る新国立劇場の「ジーグフリート」

2017-06-11 10:24:17 | オペラ
6月10日に新国立劇場でワーグナーの「ジーグフリート」を観る。昼の2時から始まり、終了は夜の8時頃だった。3幕構成で各幕とも1時間半弱、それに45分の休憩が2回入り、全体で6時間かかる大作だ。歌舞伎の昼夜通しよりも時間は短いが、ワンワンと響く音の密度が高いので、結構疲れて、腰も痛くなる。観客層は普段のオペラよりも老齢男性が多く、男性比率が高い。客席はほぼ満席。長い上演だから、途中の休憩時間ではみなよく食べている。普段は出ていない、ソーセージやハッシュド・ビーフなど、腹にたまる物がロビーでサービスされている。普段は何も食べない僕も、長いので途中でシュークリームを食べる。歌舞伎座の目出鯛焼きがちょっと食べたくなる。

「ジーグフリート」は、長大な4部構成の「ニーベルングの指輪」の第2日であるが、作品の順番としては3作目。最初の「ラインの黄金」は序夜ということになっているので、2作目の「ワルキューレ」が第1日となる。欧州のエレベータに乗ると、日本の2階が1階と表示されているのになんだか似ている。新国立劇場ではフィンランド国立歌劇場と提携して、3シーズンに渡って、4作を上演中なので、その3番目ということになる。

主要な出演者7人すべてを海外から招いて、日本人は小鳥役の4人の歌手と一人のダンサーのみ。芸術監督の飯守泰次郎の力の入れ方がわかる。歌手は7人とも素晴らしい。特にほとんど出ずっぱりのジーグフリート役ステファン・グールド、そしてさすらい人として登場する神ヴォータン役グリア・グリスレイの歌唱に圧倒される。1幕目は未だそれほどでもなかったが、2幕目、3幕目と徐々に調子を上げて盛り上がった。

オケ・ボックスは東京交響楽団で、指揮は飯守氏自身だ。現在76歳なのにまだまだ元気で、この長大な曲を指揮するのは凄い。新国立のオケ・ボックスは公称で120人のオケまで収容できるとなっているが、ワーグナーの編成は大きいので、本来の指定通りに入ったかどうかわからない。ざっと見たところ、コントラバス7本、ハープ4台、ティンパニー2人、他は4管編成といったところ。珍しいワーグナー・チューバも用意されている。コントラバスが1本少ないかもという印象だが、ボックスにはこれ以上は入りそうもない感じだった。

イタリア・オペラと異なり、ワーグナーの作品、特に後期の作品はアリアは独立しておらず、全体がレチタティーヴォという感じ。オケは大音響でブンチャカ響くし、それに負けない声で歌手は声を張り上げるが、いわゆる口ずさめるような旋律がそれほどあるわけではないので、歌手も楽器の一部のように感じる。歌を聴くというよりも、オケの長大な曲を聴いているという感じだ。もっとも、物語は展開していくので、劇に背景音楽ががんがんと流れている感じもする。

ワーグナー・ファンからは怒られそうだが、僕の中ではワーグナーの曲は全盛期のハリウッド映画の映画音楽に似ていると感じる。ロシア出身のディミトリ・ティオムキンや、最近では「スター・ウォーズ」の音楽を担当したジョン・ウィリアムズの乗りだ。「ジーグフリート」を観終わると、まるで「スター・ウォーズ」を3本立てを観たような気分になる。

この「ジーグフリート」は、北欧神話とドイツの「ニーベルンゲンの歌」をないまぜにして作られている。もともと、オペラというのは昔から神話的な題材や、歴史物語が良く扱われてきたが、このオペラ、というよりも楽劇の初演が19世紀の後半だということを考えると、少し違和感を感じる。イタリアなどでは17~18世紀にそうした題材が好まれたが、だんだんと市民生活を描くような作品が増えて行った時期だからだ。

もっとも、イタリアなどではギリシャ・ローマ神話を題材とするので、北欧神話などはそれまであまり取り扱われなかったということはあるが、なぜこの時代に改めて神話なのだろうか。一般的には、オペラのスポンサーが宮廷であった絶対王政の時代には、王としての正当性を示し、王政を称えるような神話的題材や歴史的な題材の作品が多く作られた。それがフランス革命後の19世紀に入ると、宮廷よりも産業革命などで経済力を蓄えたブルジョワがスポンサーとなったために、もっと身近な題材が好まれたわけだ。

そうした観点で見ると、ワーグナーは早い時期に革命に参加して国を追われたが、この「ニーベルングの指輪」はルートヴィヒ2世の支援を受けて、新たに作ったバイロイト祝祭劇場で連続公演された。バイロイトの劇場は、王の支援を受けたのにも関わらず、従来の馬蹄形スタイルの伝統的なオペラ・ハウス、すなわち社交場としてのオペラ・ハウスではなく、階段式の客席で観る、しかも上演中には客席の照明を落として暗くするという、芸術至上主義のオペラ・ハウスとして建設されている。

この作品は、神話という王権擁護的な主題を取り扱いながら、観客の王侯貴族は社交させずに客席に閉じ込めてしまうという、まったく矛盾に満ちた存在なのだ。こんなことを認めるのは、狂った王しかいないだろう。

休憩時間が長かったので、そのような、どうでもよいことを考えながら観るが、全体としては圧倒的な迫力で面白かった。

終演が8時だったので、劇場そばのビストロで食事をする。前菜は田舎風のパテ、メインはかも胸肉のロースト。ワインはプロヴァンスの赤。肉にちょっと火を通しすぎる感じはあるがソースは上出来。デザートはチョコレート・ケーキにする。なかなか水準の高い料理なので、また来ようという気になった。