Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

瞬間 意識体間移動体験

2011-02-04 | フォルテネージュ

昨日、ちょっと変わった感覚があったの








シータヒーリングの本を読んでいたときか、
何か、書類に目を通していたときか、忘れたんだけど、








一瞬、意識が遠のいたかと思ったら、

すぐに自分を取り戻して、

「えっと、私、今、何だっけ?」って、疑問が浮かんだんだ







そして、間髪をいれず、

「あ、人間だ」  って、思った








 

意識が遠のいてた時間は、一秒にも満たなかったと思う

そして、たぶん、その瞬間に、
私は、宇宙空間のどこかで、別の意識体として生きていたように思うの

宇宙人かも知れないし、
宇宙光線かも知れないし、
惑星そのものとか、
太陽のコロナのような存在だったかも・・

とにかく、
その、地球時間の一秒弱は、
宇宙時間で、永遠に近い、気の遠くなるような時間に相当してて、

その間に、私は、別の一現象として、生まれ、燃えさかり、消えていった・・・


そんな感じがしたの

 

 

 

 

 

 

で、戻ってきた

今、私が、私だと思っている、この生命体の枠組に



どうやら、私たちが疑ってもみないような、「自分は人間である。」という意識さえも、
いくらでも、離れることが、可能だってことらしい

過去も未来も現在も、同時に起こっている一断面に、
何を持って、自分というかは、「私」の覚悟にかかっていると、

改めて、思い出した気がしたんだ








                                      ハートサポートサロン「フォルテネージュ」

                                          

 

 


リズムの法則って?

2011-02-03 | フォルテネージュ


自然に四季があるように、
潮に満ち引きがあるように、
月に満ち欠けがあるように、


森羅万象には、リズムっていうのがあるよね

一方の極から、もう一方の極へと、振り子のように動いている




私たちが、その中で生きている以上、
私たち自身にも、リズムがあるのは、当然のことなんだと思うの










 

どうして、こんなに同じ感情を繰り返すんだろう、とか、
どうして、歓喜の後に、悲嘆が訪れるんだろう、とか、
どうして、あんなに絶好調だったのが、こんなにどん底に落ちるんだろうとか、

思ってるよね

・・・・分かってるよ、私も同じ

だって、自然にリズムがある以上、
自然の一部の私たちの、感情や体調にダイナミズムがあるのは、ある意味、宇宙の真理なの

あなたが悪いわけじゃない











そして、

私たちは、その変化自体をなくすことはできないんだ

だって、相手は、宇宙の真理だからね、ちょっとやそっとじゃ、太刀打ちできないよ


でも、
リズムがあることと、魂の状態は、連動していないってことに、気づいていたら、いいと思うんだ

リズムは、善悪とは無関係であって、

満潮が良くて、干潮が悪いってことじゃないんだもん
夏が正しくて、冬が間違っているってことでもないよね


高い意識と低い意識、喜びと悲しみを行ったり来たりすることに、魂をつきあわせなくていいの

感情の浮き沈みがあっても、
「もう、私ってダメ人間なんだ・・」とか、思わなくていいの













 

感情や思考は、あなたのものじゃないから
どこからか、やってきて、また、去っていくものだから


「ああ、またやってきたね、悲しみよ、こんにちは
「おお、次はキミかい、ワクワクのアイデアさん、ハロハロ~

そんな感じの視点を持っていることで、ただそれだけで、いいと思う

荒波に揉まれる舟に乗り込んでなくていい、
その舟を、離れた丘の上で、遠隔操作する操縦士の立場、

それが、本当の、私たちのいる場所なんだと思うんだ

そして、操縦の仕方を、一生懸命、マスターしようと頑張ってる



成熟した操縦士の心は、いつもピースフルなんだよ
だって、自分が安全な場所にいるってことを知っているんだからね

 

 

 

 

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買い物依存症が教えてくれたこと

2011-02-01 | フォルテネージュ


数年前、買い物依存症だったとき、
買っても買っても満たされなかったんだ

苦しくて、終わりにしたくて、強迫的に洋服やらバックやら買うんだけど、
買ってきたアイテムを身につけて、鏡の前に立つと、
自分の顔やカラダが醜く感じられて、そのアイテムまでもが、色褪せて見えて、
だから、また、別のモノを求めて、さまよい歩いてた。。。

希求するかぎり、枯渇し続ける、そんな感じ





 



今から思うと、

私の奥底が、本当に求めていたものは、
洋服やバックやアクセサリーじゃなくて、

それらの持つ、エレガントさや、キュートさや、ラブリーなところを、
自分自身の中に見出すことだったの

自分に魅力を見出し、自分自身の美しさを認めることだったんだ


だから、いくらステキな外付けアイテムを次々に買ってきても、
本体に価値を見出さないかぎり、コマンドが終了しないのは、当然のこと









 

天使に教えてもらった、依存症からの脱却方法はね、

ピアノの美しい音楽を聴くことだった

そしたら、私の中の枯渇していた<美の受容体>の鍵穴に、
カパカパとうるおい成分がはまっていって、ひたひたにうるおって、

むやみに買い物することがなくなっていったの



音楽でも、美術でも、美を愛でるということは、
自分の内側にあるものを、外側に投影して、その存在を確認することになるんだって知った


私が美しいから、美しいものと共鳴する
本当に心からそう思えることが、必要だったんだ










 

 

あのとき、私はアンバランスだったから、
バランスを取り戻す必要があったんだ

確かに、私は、醜いときもあるよ
でも、決して、そればかりじゃなく、美しいときも、絶対にある

要は、この公平な事実に自分が気づいているかどうかだと思う

美と醜は、同じ一本の軸の両端に過ぎないのだから、
必ず、セットで存在しているんだ

正反対のものが、自分の中にあると知ること、
どちらかを否定すると、その部分が強く存在を主張し始める




だからね、「私は○○だ」という感覚が生まれたとき、
それがあなたにとって、心地よいものでないのなら、
必ず、その対となる、「私は☆☆だ」という感覚を、自分に呼び覚ましてみてね

それは、あなたの中の間違いのない真実だから

ただ、思い出すだけでいいんだ







                                 ハートサポートサロン「フォルテネージュ」