数年前、買い物依存症だったとき、
買っても買っても満たされなかったんだ
苦しくて、終わりにしたくて、強迫的に洋服やらバックやら買うんだけど、
買ってきたアイテムを身につけて、鏡の前に立つと、
自分の顔やカラダが醜く感じられて、そのアイテムまでもが、色褪せて見えて、
だから、また、別のモノを求めて、さまよい歩いてた。。。
希求するかぎり、枯渇し続ける、そんな感じ
今から思うと、
私の奥底が、本当に求めていたものは、
洋服やバックやアクセサリーじゃなくて、
それらの持つ、エレガントさや、キュートさや、ラブリーなところを、
自分自身の中に見出すことだったの
自分に魅力を見出し、自分自身の美しさを認めることだったんだ
だから、いくらステキな外付けアイテムを次々に買ってきても、
本体に価値を見出さないかぎり、コマンドが終了しないのは、当然のこと
天使に教えてもらった、依存症からの脱却方法はね、
ピアノの美しい音楽を聴くことだった
そしたら、私の中の枯渇していた<美の受容体>の鍵穴に、
カパカパとうるおい成分がはまっていって、ひたひたにうるおって、
むやみに買い物することがなくなっていったの
音楽でも、美術でも、美を愛でるということは、
自分の内側にあるものを、外側に投影して、その存在を確認することになるんだって知った
私が美しいから、美しいものと共鳴する
本当に心からそう思えることが、必要だったんだ
あのとき、私はアンバランスだったから、
バランスを取り戻す必要があったんだ
確かに、私は、醜いときもあるよ
でも、決して、そればかりじゃなく、美しいときも、絶対にある
要は、この公平な事実に自分が気づいているかどうかだと思う
美と醜は、同じ一本の軸の両端に過ぎないのだから、
必ず、セットで存在しているんだ
正反対のものが、自分の中にあると知ること、
どちらかを否定すると、その部分が強く存在を主張し始める
だからね、「私は○○だ」という感覚が生まれたとき、
それがあなたにとって、心地よいものでないのなら、
必ず、その対となる、「私は☆☆だ」という感覚を、自分に呼び覚ましてみてね
それは、あなたの中の間違いのない真実だから
ただ、思い出すだけでいいんだ