Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

「美しい花を見たら、地下の根を思え」

2010-11-04 | フォルテネージュ
最近受け取った、大学時代の同級生からの
近況報告メッセージが、心に残っているんだ

「・・・いつまで経っても、難しいことは難しいままで、
できることも、分かることも、全然、増えていかなくて・・・・」

彼女は小学校の先生をしている
もう20年以上の、ベテラン教師だよ


私は、これを読んだとき、真実を見通す目を感じて、
「彼女はきっと生徒や親たちを、ちゃんと導いてあげているんだろうなあ」って思ったよ











成長って、自分ではよく分からないものだよね

私は、思春期のとき、
「大人になったら、私も、分別のある冷静な対応ができるようになるんだ!」って思っていたけど、
いつまでも、そんな日なんか、来なくて、

いまだに、洋服ひとつ買うのにも、迷いっぱなしでさ

なまじ、<不惑>なんて、言われる年齢があるものだから、
自分の未熟さを痛感したりする
















でも、折に触れて、
どうやら、自分が変化しているらしいってことが、分かるときってある


以前の憧れの人が、何だか、陳腐に見えてきたり、
これまで、ものすごく反発を感じていた人の中に、新たな魅力を発見したり、

そんな、自分の感じ方の変化に触れたとき、

ああ、私って変わったのかなあって思うんだ


そして、そう感じていると、実際に、「なんか、変わったね」って、言われたりする経験って、
結構、誰にでも、あるんじゃないかなあ?














成長っていうと、上に伸びることを想像するけど、
根っこが地中に伸びていくのも成長だし、
枝が横に伸びるのもそうだから、

必ずしも、高次の意識とか、世界的、宇宙的視野で、愛と奉仕の心を常に持ち続けるとか、

そんなことばかりじゃなくても、いいんだと思うんだ

たとえば、

「私は、この世に愛と光をもたらすために、生まれてきたの」って、使命感に目覚めたすぐ後に、
子どものように、身近な人に不満をぶつけて、自己嫌悪したり、
挽回したくて、同じ相手に、愛を囁いてみたり・・・

世界平和を願ったかと思えば、
甘いお菓子を一気食いしながら、
窓の外を、飛ぶ鳥に、命を感じて、涙したり・・・













なんか、そんな、ダイナミズムを行ったり来たりしながら、生きられること自体、
自分の占める、空間と時間が、広がっている証拠で、

それが、そのまま、三次元にも四次元にも自在に旅のできる魂の器なんだって、思うと、

この達観こそが、進化だって、思えてくるんだよね













伸びているその瞬間は、分からないけど、

以前は感じなかったことを、感じたり、
初めての言葉が、あなたに注がれたら、

それは、あなたの地下の根っこが、新しい大地の闇に触れているって証拠なんだよ