やたらと変容を神聖視する動きがあります。
いかに、自分を変容させるか、
このことが目的になっている活動もあります。
でも、たぶん、そのやり方ではうまくいかないのです。
変容とは、
目指すものではありません。
起こるものです。
「自分ではない誰かに」とか、
「ここではないどこかへ」とか、
変容を目指そうとすると、まずは否定が生まれます。
否定は、地球独特のエネルギーです。
ローカルです。
全宇宙的ではありません。
否定からは変容は生まれません。
地球において、
すべての変容は、束縛を極めることで起こります。
物理的束縛、
精神的束縛。。。
あるいは、飽和と言ってもかまいません。
とにかく、密度が最高に上昇することです。
ですから、
束縛の中に自ら入っていく覚悟と勇気があれば、変容は容易に起こります。
ここでは、誰もが自由に憧れるのが当然で、
束縛は悪いこと、ダメなことです。
でも、言葉に惑わされないでください。
そこを逆転したとき、それが変容、そのものです。
束縛に見えていたものが、
安全な繭であったり、
道場であったり、
集中する仕事部屋であったり、
そのような価値を再発見できるあなたは、
もはや、それまでのあなたではありません。
「変わりたければつらい思いをしろ」と言っているのではありません。
むしろ、それと、全く逆のことです。
病気の、
苦痛の、
惨事の、
その忌まわしい(とされる)ベールの奥にあるものを見据えられたら、
あなたは、もはや、
枠を超えて、
それまで知らなかったことを知るまでに至ったのです。
さあ、そうなったら、お祝いです
Things will be only better