Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

「真実はいつも無限大数」(by 迷探偵コナン)

2011-06-22 | 量子論?


古典物理学では、

客観的事実というものが、私たちとは別個に存在して、
私たちはそれを観測できるものということが、疑いなく信じられてきたけど、

量子論では、

客観的事実は存在しないってことが世に提示された


自然は、誰も観測していないときは何も決まっていなくて、
誰かが観測したときに、初めて状態が決まるんだ







電子は普段波の性質を示していて、
観測したときには粒の性質を示す


電子は、あちらにもある、こちらにもあるという非局在的性質を持っていて、
観測したときには、一カ所に収縮して、ある場所にいる状態になる


人は決して、波の状態にある非局在的な電子を見ることは、できないの
なぜなら、見ようとして光を当てることで、
光のエネルギーが対象に影響を与えてしまうから、
どうしても、その前の状態そのままを、見ることはできないんだ



ミクロの世界のものだけでなく、巨大な月でさえ、
誰にも見られていないときは、
厳密に言えば、ファジーでぼやけて、さまざまな場所にいる








アインシュタインやシュレディンガーは、
人間の観測に左右されない「客観的事実」や「実在」が存在することを信じたかったけど、

最後には、

「それ(量子論の考え方)は好きじゃない。」という渾身の反論に出るしかなかった









「客観的事実なんかない」

そういう立場に立ったとき、初めて、
人生が気づきのプロセスじゃなくて、創造のプロセスになると思う


確固としたものが、自分の外側にあるわけじゃないんだ
「真実」だって、「ライフパーパス」だってそう、
いつでも変わらずそこにあるものなんてないんだと思う、万物は流転しているんだしね


でも、そのときのそれを、観測することはできる

そして、観測は、自分という存在を通じてすることになるから、
自分と対象をセットで考える、一元論の見方になって、
そこで、陰陽の太極図のイメージが登場するの








自分という存在がある限り、
自分が知覚、体感、体験する「真実」は、
やはり、「自分にとっての真実」でしか、存在しない

・・というのが、「私の真実」なんだよ


   



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