ものすごく怠惰に聞こえるのを承知で言うと、
私は、「我慢」とか「忍耐」とか「努力」ということばが大嫌いだ
ここで、誤解して欲しくないのは、
そういうことばが嫌いだということだ
「我慢」、「忍耐」、「努力」には、悲壮感がつきまとう
歯を食いしばったり、涙ぐましかったりという、
何だか、見ていて、痛くなるような、哀れみを覚えるような、そんな空気がある
おまけに、それには、「報われてしかるべき」といった、
取引めいた、宇宙への脅迫も感じられる
思うのは、
同じことを、ある人は「我慢」と呼び、ある人は「選択」と呼ぶということ
たとえば、
GACKTは、体型を維持するのに、もう10年も米を食べていないらしいけど、
彼は決して「忍耐」としてそれをしているのではないと思う
彼は、人一倍、米が好きらしいから、「忍耐」ではそこまでは続かないだろう
そうしようと決意して、自ら選択して、意志としてそれを実行しているだけだと思う
自分の中に「苦しい」という感情があったとしても、それをピックアップすることなく、
その行動を取ることで得られるものの方が自分にとって価値があると知っているから、
その実現のために、綿々と続けているのだ
私は、これまでの人生で、
「忍耐」も「我慢」も、人一倍やってきたと胸を張って堂々と言える
でも、そこには、ビジョンがなかった
ただ、努力し、ただ、我慢し、ただ、忍耐を重ねていた
「どうなりたくて、今、こんなに努力しているのか」よりも、その場をやり過ごすことだけだった
だから、私は、今後一切、努力はしない
いつか報われるだろうと期待して、今を犠牲にすることはしない
天と地を意識して生きていれば、
自分に必要なことがひいては社会に必要なことになり、
自然と身体が動いてしまうだろうから、
そこにあるのは、悲壮感ではなく、
例えようもないエクスタシーになるはずだ
スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」