少し前、
「実録 連合赤軍あさま山荘事件」を観た
思い出すのも勇気がいるほど、壮絶で悲惨な映画だった
1970年代、高度経済成長期の日本で、
資本主義を諸悪の根源と見なした大学生を中心とする若者たちは、
共産主義社会を実現すべく、革命を目指し、デモや集会を重ねていく
若者らが破壊活動を行うので、そのたびに機動隊が制圧に出動、
いつしか、ユートピアを夢見る若者らは、
警察と戦うために武装化するようになる
そして、集団内部の結束力を高めるために、
山の中で合宿を行い、ゲリラ活動の訓練をする
その中で、一人一人を鍛錬するとの名目で、個人を激しく責め立て、
狂気がその場を支配するようになり、
集団リンチで、仲間を何人も死に至らしめることになる
この映画は、どんな条件がそろえば、人は狂気に陥るかを教えてくれる
まず、
意味不明な専門用語を連発して、思考を停止させる
一世を風靡した、あの、 「(過去のできごとや人を)総括する」 という言葉とか、 (何度聞いても私にはその意味が分からなかった)、
その他にも、 「一人一人を共産主義化する」 云々 といった、
訳の分からない言葉が繰り返され、若者たちは混乱に陥っていく
追い詰められた若者たちが、
「 総括する ってどういうことだか教えて欲しい。」とリーダーに問うと、
「総括のしかたを人に聞くものではない!」と拒絶される
そして、一生懸命に答えても、「そういうことじゃないんだよねえ」と、全否定される
集団の幹部たちは、選民意識を高め、
最後には、
「ひとりひとりを共産主義化するという覚醒を迎えるためには、一度気絶するというプロセスを踏まなければならない!」と言いだし、
弱い若者たちは、自己保身のために、ターゲットにされた者へ集団暴行を始めていく
そして、死亡すると、
「自分自身を昇華するのに失敗した敗北死」と、本人のせいにされる
ここでは、自分と他人を否定することが是とされる
他人の行為に対して、「自己批判を求める!」と要求し、
求められた人は、「自分が○○したことを自己批判します。」と懺悔する
訓練中にちょっと髪を気にしただけでも、
お腹が空いてクッキーをつまんだだけでも、
そこには批判の嵐が吹き荒れる
たとえば、自分たちの理想とする社会について、
こんなふうにしたい、こうなったら素晴らしい、こんなのが夢だ
といった会話は皆無だった
これでは、不幸になるはずだ
苦痛の泥沼に、暗く沈み込んでいった若者たち・・・
きっと、オウム真理教のサリン事件も同じ構造だったのではないかと思う
それにしても、
坂井真紀ちゃんの演技は凄まじかった
自分で自分を殴れと指示され、ボコボコになった顔で、
柱に縛られて、発狂して死んでいった、まだあどけない女子大生の革命戦士を演じていた
後味の悪い映画だったけど、
言葉が人の気持ちを表現するのに使われていないと、理性が壊れていくこと、
理想を夢見るのではなくて、現実を否定しまくるだけでは未来がないことが、
よく分かる映画だった
勇気のあるかたは、一度ご覧になってみて下さい
スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」