Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

狂気と不幸の条件

2009-07-15 | 紹介(レビュー)

少し前、


「実録 連合赤軍あさま山荘事件」を観た


思い出すのも勇気がいるほど、壮絶で悲惨な映画だった





1970年代、高度経済成長期の日本で、


資本主義を諸悪の根源と見なした大学生を中心とする若者たちは、


共産主義社会を実現すべく、革命を目指し、デモや集会を重ねていく


若者らが破壊活動を行うので、そのたびに機動隊が制圧に出動、


いつしか、ユートピアを夢見る若者らは、


警察と戦うために武装化するようになる


そして、集団内部の結束力を高めるために、


山の中で合宿を行い、ゲリラ活動の訓練をする


その中で、一人一人を鍛錬するとの名目で、個人を激しく責め立て、


狂気がその場を支配するようになり、


集団リンチで、仲間を何人も死に至らしめることになる





この映画は、どんな条件がそろえば、人は狂気に陥るかを教えてくれる


まず、


意味不明な専門用語を連発して、思考を停止させる



一世を風靡した、あの、 「(過去のできごとや人を)総括する」  という言葉とか、 (何度聞いても私にはその意味が分からなかった)、


その他にも、 「一人一人を共産主義化する」  云々  といった、


訳の分からない言葉が繰り返され、若者たちは混乱に陥っていく



追い詰められた若者たちが、


「 総括する ってどういうことだか教えて欲しい。」とリーダーに問うと、


「総括のしかたを人に聞くものではない!」と拒絶される


そして、一生懸命に答えても、「そういうことじゃないんだよねえ」と、全否定される


集団の幹部たちは、選民意識を高め、


最後には、


「ひとりひとりを共産主義化するという覚醒を迎えるためには、一度気絶するというプロセスを踏まなければならない!」と言いだし、


弱い若者たちは、自己保身のために、ターゲットにされた者へ集団暴行を始めていく


そして、死亡すると、


「自分自身を昇華するのに失敗した敗北死」と、本人のせいにされる





ここでは、自分と他人を否定することが是とされる


他人の行為に対して、「自己批判を求める!」と要求し、


求められた人は、「自分が○○したことを自己批判します。」と懺悔する


訓練中にちょっと髪を気にしただけでも、


お腹が空いてクッキーをつまんだだけでも、


そこには批判の嵐が吹き荒れる



たとえば、自分たちの理想とする社会について、


こんなふうにしたい、こうなったら素晴らしい、こんなのが夢だ


といった会話は皆無だった






これでは、不幸になるはずだ


苦痛の泥沼に、暗く沈み込んでいった若者たち・・・



きっと、オウム真理教のサリン事件も同じ構造だったのではないかと思う






それにしても、


坂井真紀ちゃんの演技は凄まじかった


自分で自分を殴れと指示され、ボコボコになった顔で、


柱に縛られて、発狂して死んでいった、まだあどけない女子大生の革命戦士を演じていた





後味の悪い映画だったけど、


言葉が人の気持ちを表現するのに使われていないと、理性が壊れていくこと、


理想を夢見るのではなくて、現実を否定しまくるだけでは未来がないことが、


よく分かる映画だった



勇気のあるかたは、一度ご覧になってみて下さい




                 スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」