恵比寿ガーデン・プレイスから庭園美術館へ ~ 大正モダンを遡る

2007-06-18 23:55:56 | 美術館&博物館など

『婦女』(中村大三郎)。モデルの女性は映画女優の入江たか子。


 『雲南の少女 ルオマの初恋』を観るため、久し振りに恵比寿ガーデンプレイスに行きました。朝からとても気持ちのいい風が吹いていて、一日中ここにいてもいいくらい。なんでこんなに心地好いのだろう?


 午前10時。雲ひとつない青空の下、強烈な日差しを浴びて、建物が真っ黒に日焼けしてしまった。(これだけ日差しが強いと、陰も強調されてしまいますね)
 JR恵比寿駅から屋内の「動く歩道」を幾つか乗ると、ガーデンプレイス正面の交差点に出る。時期柄、歩道の脇にアジサイの鉢がたくさん置かれていて、目を楽しませてくれた。




                     

(左)センター広場に落ちたアーケイドの格子縞の影。まるでチェス盤のようだ。『鏡の国のアリス』ごっこでもしたくなる? 広場の中心に設置された「5つの花壇からなる夏の花壇 ~虹色の庭」は期間限定の試み。(この写真だとちょっと遠いけど)
(右)センター広場に続く坂道と、背後に広がる見事な青空。「風の通り道」と勝手に呼んでいる。「虹色の庭」には、ニューギニア・インパチェンス、バーベナ、フクシナなど、夏の花を咲かせた(ここの花はそれほど見なかったけど・・・)。夜17:30~22:00まで、ライトアップも行われるとか。南国ムードたっぷりだろうなあ? 行ってみたい!


                      



                     

 坂道の両脇には水路があって、いつも水が流れている。丸い花壇がゆらゆら水面に浮かんでいた・・・。センター広場には、座り心地の良い木のベンチと、柱の脇に石のベンチがある。朝のうちは空いていたが、お昼になると、ほぼ満席・・・。このアーチ形のアーケードが、なぜだがわからないけど、好きでたまらない。昔から商店街のアーケードが好きで、いつか巴里のパサージュを歩いてみたいと、夢見るニワトリだった。永遠に失われてしまう前に・・・


                     

 ピンクのマーガレット?と、謎の洋館=シャトーレストラン〈ジョエル・ロブション〉。ガストロノミーでジョエル氏自慢の18皿のコース料理を堪能。ラ・ターブル・ドゥにはカジュアルなランチもあり(両方とも行ったことありませんが・・・)。この建物を見ると、メルボルンの街を思い出すニワトリだった(行ったことのある数少ない異国の街なので・・・)。青春の思い出?


     


 映画を観終わった後、この回廊を通って、ガラスの滝の前(ガーデンタワー側の水路)から坂を登って、サンジェルマンでお昼を買い、空いたベンチでひとときを過ごしました。からっとした空気と風が何とも気持ちが良く、いつもだったら、向かいの三越でウィンドウ・ショッピングを楽しむのですが、この日はずっとベンチに座って、今見たばかりの映画のことを考えていました。

 次の目的地は、裕美さんのリクエストにお答えして?目黒にある旧朝香宮邸=東京都庭園美術館です。恵比寿駅に戻るのも癪に障るので、そのまま山手線に沿って目黒方面に向かって歩いていきました。実はこの近所に、翌朝日曜日に放送されたNHK「小さな旅」で紹介された入澤さんのバラ園があったんですね~。非常に近くを歩いていたのに遭遇できませんでした。バラ園の話は後ほどすることにします。



 アール・デコ様式を取り入れた邸内は実に素敵なのですが、撮影禁止なので(正面玄関の、ルネ・ラリックが作ったガラス・レリーフ扉だけは撮影可?)公式HPなどでご覧ください。公式HPは、 → ここをクリック

 7月1日まで、ホノルル美術館所蔵の『大正シック』展が開かれています。大正浪漫というと、明治と昭和にはさまれた幸福な時代というのが一般的でしょうが、特に女性が各方面で活躍した時代でもありました(昭和になって、再び家庭へ追いやられる)。その時代が、外国人のフィルターを通過すると・・・文化とは誤解だったりして・・・でも、だからこそ面白かったり、新たな発見があるのだと思います。
 日本画・着物・工芸品など80点が朝香宮邸内に飾られています。思わず見とれてしまう(隣に展示されている下絵も)『婦女』や、『三人の姉妹』など、不思議で素敵な「大正シック」、機会のある方は是非ご覧ください。(東京都庭園美術館のHPからも、いかれます)

      

(左)シンプルだけど美しい版画『婦女四題 秋』
(右)ガレのガラス工芸にも通じる〈蜻蛉〉の単衣


     

見事な紫陽花と、今年も咲いた紫の薔薇 


『雲南の少女 ルオマの初恋』 ~ 映画の初恋

2007-06-16 23:58:00 | 映画&ドラマ



 東京都写真美術館(恵比寿ガーデンプレイス内)のシアターで、『雲南の少女 ルオマの初恋』(02)を観てきました。今週末が運良く連休となったので、初日の初回に観ることが可能になったのですが、仕事だったとしても初日に観にいったでしょう。
 
 『花とアリス』(04)をDVDで鑑賞したとき、「〈少女映画〉というジャンルは不思議と傑作が多く、少女映画のベストテンはそのままオールタイム・ベストテンにもなり得る」と書きましたが、またしても傑作の登場です。それも飛び切りの!

 この映画を紹介する際に、公式HP上でもチャン・ツィイーの出世作になった『初恋の来た道』(99)以来の「初恋映画」の傑作と謳っていますが、あえてこのような比較をするなら、『雲南の少女 ルオマの初恋』は『初恋の来た道』とは決定的に異なる映画だ、と言いたくなります。というのも・・・
 『初恋の来た道』の物語には、ベテラン監督の「こうすれば商業的に成功する」といった、経験に裏打ちされた技巧や演出がみえみえなのですが、チアン・チアルイ監督が初めてメガホンを取った『雲南の少女 ルオマの初恋』は、全てのシーンが瑞々しく、一途で一点の曇りもなく、繊細で壊れ易く、痛みも感じるけれどひどく懐かしい、正しく「初恋」のような映画です。少女の初恋を描いているのだから当然だと思うかもしれませんが、おそらくカメラが映画に恋をしてしまったのでしょう。テクニックだけでは撮ることのできない「絵」が焼き付けられています。

「カメラが恋をする? そんな馬鹿なことがあるわけないじゃない!」
 確かに、無生物のカメラが感情を抱くことはありません。でもカメラは、D・W・グリフィスが『散り行く花』(19)を撮っていた頃から、映画に恋をしてきました。彼女=リリアン・ギッシュを見つめるあまり、クローズ・アップという技法が生まれたほどです。
 『雲南の少女 ルオマの初恋』では、カメラは何に恋したのでしょう。空にもっとも近いところで暮らす人々の生き様に? 彼らが時を超えて守り育んできた棚田の美しさに? ルオマを演じた16歳のハニ族の少女リー・ミンに?
 そして私も、カメラと同じように、この土地の美しさと、この土地に住む人々と、少女ルオマに恋をしました。

 映画の舞台となった世にも美しい棚田は、中国雲南省元陽県(といってピンと来ないので地図を広げる必要がありますが)の標高1500~2000mの山地の急斜面に少数民族のハニ族が2000年の時をかけて育んできたもので、「棚田はハニ族の化身」とさえいわれているそうです。
 この作品は2002年に製作されました。すぐに公開されなかったことが不思議でなりませんが、何はともあれこうして公開されて、本当に良かったと思います。ちなみに、冒頭にあげた映画のポスターは今年の1月に撮影されました。

 二十歳の大学生になったリー・ミンは、四年後のルオマの姿です(殆ど変わっていない)。とても美しい彼女だけど、是非とも映画の中で四年前の彼女に会ってあげて下さい。これはもう映画の奇蹟です。
 ニワトリさんはこの先何度も彼女に逢いにいくのでしょうが、インドで少女映画の大傑作『河』(51)を撮ったルノワールと、生まれたときから映画と一緒だった淀川さんに、『雲南の少女 ルオマの初恋』を見せてあげたい!
 二人が空の上で大喜びしてる様子が目に浮かびます。

 物語についてほとんど触れませんでしたが、エレベーターに乗るのが夢だという部分に普遍性を感じます。素朴な夢を思い出させてくれてありがとう、ルオマ。いつの日か、君と一緒に乗れたらいいね~♪(17日朝、追記) 

 『雲南の少女 ルオマの初恋』の公式HPは、 → ここをクリック

 ルオマを演じたリー・ミンの来日インタビューは、 → ここをクリック


MONET 大回顧展と東京ミッドタウン

2007-06-15 23:55:10 | 美術館&博物館など



 昨晩の天気予報だと、今日は温度も上がらず雨になる筈だったのに、何なのこの天気! ようやく梅雨に入ったと思ったら、いきなり梅雨明けですか? 4時30分に起床したニワトリは長袖シャツに折り畳み傘持参で出勤してしまい、思い切りブーたれちゃったよ~。その反対に、月曜日は半袖一枚で出勤して非常に寒い思いをしたし、ここまで予報がはずれると、頭に来ちゃいます。いや、正確にいうと、予報が外れたことに言及しないのが腹立たしい。涼しい顔で「今日の東京地方は30度になりました。明日も暑くなるでしょう」と微笑んでいる。あんた、昨日は「23度くらいしかならないでしょう」って言ってたじゃん。そもそも、誰もが天気予報で同じこと喋っているなら〈気象予報士〉なんて要らないよと、紅白歌合戦にも出演したらしい(WHY?)人気予報士に毒づくニワトリだった。(ついでに、貴方のファッションセンス、相当ユニークですね!)

 今日も朝7時前から作業に入り、午前中で片がつきました。来週からハードな仕事が待っているので、そのための準備作業が終わった時点で、体を休めることにしたのですが、しめしめと動き出すのがニワトリの習性で、「この機会に、新国立美術館でモネの大回顧展を見てこよう」と、思い立ちました。
 このブログの読者なら、予想がつくのではないのかと思いますが、にわとりトシ子と新しいものとの相性は総じてあまり良くなく、六本木という町は、最悪最低の人間だった某氏が倉庫を差別化した盆踊り会場にして気勢を上げていた頃から、裏通り以外はあまり好きでないところでした。最低クラスの映画だった『日本沈没』でも、六本木ヒルズが崩壊する場面だけは、予告編を見て拍手喝采を送ったほどですが、実はオープン直前に仕事で何度か訪れた際は、「こりゃ、たまげた」と腰を抜かしました。


『日傘の女性』(&デッサン)


 有楽町の〈紅虎〉で餃子ランチを食べた後、交通会館で夕張メロン・ソフトクリームを買い食いと、ワンコイン・ランチの反動が出てしまいましたが、これに満足したニワトリは、上機嫌で日比谷線に乗って六本木に向かいます。東京ミッドタウンと新国立美術館周辺は、真夏の空と雲が妙に似合う場所でした。そしてモネ・・・
 ウィークデーなら多少は空いてるのでは?と思ったのが間違いでした。「なんなんだこの人だかりは~~~まるで渋谷センター街か、ハチ公前にいるみたい」
 会場に入るなりげんなりしてしまったのですが、いの一番に飾られている『日傘の女性』に見とれて、あわや落涙してしまうほど感動してしまいました。後は押すな押すなの人ごみを縫うように・・・


                     

 『モントルグイユ街、1878年パリ万博の祝祭』『サン=ラザール駅』など、〈オルセー美術館展〉でも出展されたお馴染みの絵とも再会できて嬉しかったのですが(何しろ生きている間に実物とはもう二度とお目にかかれないと思ってたから)、『かささぎ』(上写真。これもオルセー美術館所蔵だけど、初見だと思う)は、何度も何度も人波をかきわけながら前に立つほど気に入った絵で(ひと通り流した後は、好きな絵だけを集中的に見る傾向があり、同行者に嫌がられる・・・)、『かささぎ』の雪とは対照的な夏の湖畔の風景なのだけれど、モネには珍しく牛の姿が遠景で描かれている『ヴェトゥイユ』(下写真)にも、同じように魅せられました。
 

『庭のカミーユ・モネと子供』


 今回の回顧展を開催するにあたって、初期から晩年に至るまで、何と97作品がここに集結しましたが、展示された作品を時代別に眺めていくと、画家の人生も読める(想像できる)ようで、そういう点は非常に良かったのですが、モネの場合は単独の展覧会よりも、「~美術館展」「印象派展」とか、あるいは美術館の常設であるとか、他者と混じってそこにある方が、その魅力がいっそう引き立つ気がしました。それと、今回の回顧展で、モネとルノワールの永遠の対決に結論がでたのも収穫だったかも?(どちらが勝ったかは内緒。それから一番好きな画家も秘密)


                     



 外に出ると、いよいよ夏の空が迎えてくれました。モネ展会場入り口には先ほどまではなかった長い列ができていました。雲より高くそびえているかのように見える〈六本木ヒルズ〉は、現代の〈バベルの塔〉そのものといった感じ。写真だけ見ると、日本じゃなくてハワイにいるみたいな景色だけど、アスファルトやコンクリートの反射熱で蜃気楼が立っても不思議じゃない東京ミッドタウン前の交差点で信号待ちをしながら、ふと、バルデュスの絵が見たいと思いました。


     

(左)天空に向かって威容を誇るヒルズは、やっぱり現代の神話だろう。
(右)東京ミッドタウン。中には入らなかったので、クリックして詳細を・・・


 『日傘の女性、モネ夫人と息子』(ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵)
私が一番好きなモネの絵。今回は、残念ながら来日しませんでした。

モネ大回顧展のHPは、 → ここをクリック (7月2日まで) 


六義園から旧古河庭園へ ~ Flowers in the rain♪

2007-06-14 23:32:11 | 日常&時間の旅



 神田上水跡を歩いた翌日、六義園から旧古河庭園を訪ねました。昨日は小石川後楽園で多少降られたものの傘を差さずに済みましたが、今日は朝から「そうは問屋がおろさない」空模様です。となれば、こちらも滝のような雨が降ろうと大丈夫なように、水陸両用の装備(半ズボン&サンダル)で、出かけることにしました。


 最近の中央線は半数以上が新型車両に代替された感じ・・・
中央特快は、国分寺~三鷹間で97kmの最高速を記録した。                  



駒込駅の見事なツツジ。反対側の土手でも新たなツツジ棚を拡張中!

 文京区・北区・豊島区が同居する不思議な町=駒込は、かつては染井村と呼ばれていて、代々植木職人が多く住んでいた。江戸の人々は、春は梅に桜、秋は菊に紅葉の花見を楽しみ、藤にアヤメ(花菖蒲)に、サツキにツツジ、紫陽花に朝顔、寒牡丹に椿といった具合に、一年を通して園芸も盛んだったが、それを支えていたのが江戸郊外に住んだ染井村の職人で、六義園の見事な庭園も、彼らが丹精を込めて育てたものだった。何度か駒込駅を利用していたのに、駒込駅のホームの土手に植えられた(伝統の)ツツジ棚に全く気がつかなかった・・・新たなツツジ棚に苗木が植えられたばかりで、来年の春は、この土手をよりピンクに染めてくれるだろう。



 巣鴨の駅前の本郷通りを左に行けば六義園、右に行けば旧古河庭園と、方向音痴のニワトリでも非常にわかりやすくて助かりました。ただ、六義園に向かって歩き出すや、シャワーのような雨が降ってきました。雨宿りに一番近くのお店=〈草木染工房 布礼愛〉に飛び込んだら、十本の指を真っ青に染めた十数名の小学生がお弁当を食べています。実は奥にある工房で、藍染めの体験教室が開かれていたのでした(後で調べたら、『ちい散歩』でも取り上げられていた)。楽しそう~♪
 商品の中に麻の藍染め帽子を発見、先日の日焼けの反省から帽子が欲しいと思っていたので試しに被ってみたら、嘘のように軽くて涼しい~~。これを被って散歩している姿まで目に浮かんでしまい、非常に高価なものでしたが、一生ものだと思って買ってしまいました。
 雨が小降りになったので店を後にすると、再び猛烈なスコールに! たまらず別のお店に雨宿りしたら、そこはお洒落な生活雑貨のお店=〈honobono〉で・・・
 いったん散財してしまうと歯止めが利かなくなるのですが、そこを何とか3点でこらえ、普通の雨ぐらいになったのを見計らって歩き出しました。すると、50mも行かないうちに再び土砂降りに・・・
 上の写真は、この日のお買い物。ウサギは動かないけど、カメはころころと前に進むんですよ! フィルムの正体は鉛筆削りで~す。




                   

 六義園の園内は、通路が川と化し、空き地が池に変わっていた。でも、もとよりこういうのが大好きな性格なので、大喜びで水たまりの中に入った。雨に濡れた景色も素晴らしく、緑の苔は写真以上に眩しかった。


           

                   

「この先、アジサイがきれいです」と書かれた看板がかかっていたので、水没した小径を遡ると、白と水色のヤマアジサイが群生していた。見慣れたガクアジサイや普通のアジサイも咲いていて、ちょっとしたアジサイ村になっていた。でも、カタツムリの姿が見当たらない。最近とんと見なくなった。小川と化した〈アジサイの小径〉の隣の写真は、六義園を囲うレンガ塀。雨に濡れて、こちらもいい色になっていた。




          

                   

 木立を抜けると、180度視界が開ける。雄大だけど丸みを帯びた繊細な風景。思わず「あ~」と声を上げてしまった・・・見学者は少ないし、風情はたっぷりだし、雨の日に来て正解だった。(晴れた日、池が見える木の下で昼寝できたら最高かも)


♪雨に唄えば♪ 四十雀のダンス(小さくてゴメン) 




                   



(上)つつじ材で作った〈つつじ茶屋〉。秋は見事な紅葉に覆われる。
(中)藤代峠の眺望。庭全体が見下ろせる。
(下)渡月橋。「和歌のうら 芦辺の田鶴の鳴声に 夜渡る月の 影そさひしき」から、名づけられた。


 六義園は、五代将軍綱吉の時代に、柳沢吉保が築園した「回遊式築山泉水」大名庭園です。昨日訪ねた光圀の小石川後楽園の中国趣味に対して、古今集の序にある和歌六体(そえ歌、かぞえ歌、なぞらえ歌、たとえ歌、ただごと歌、いわい歌)を由来とした純和風庭園になっています。六義(りくぎ)という言葉は、もともと漢詩の分類法(詩の六義)だったので、吉保は、六義園を日本風に「むくさのその」と読んでいました。趣旨に従えば、現在の漢音読みをやめて、「むくさのその」と呼ぶべきですね。
(ニワトリは「ろくぎえん」と呼んで、後に出てくる鮨屋のおやじさんに注意された・・・)

 駒込駅に戻ったら、そのまま直進すると旧古河庭園前に出るのですが、駅を通り過ぎた直後に左折、山手線に沿って道なりに歩き、焼き芋が絶品だと言われている〈角屋青果店〉(お休みでした・・・)や、奇妙な農園〈私の庭みんなの庭〉(豊島区が近所の人に貸し出している)の前を通って、ソメイヨシノ発祥の地=染井村の染井稲荷神社をお参りし、ワンコインランチで有名な染井銀座の〈鮨処京和〉に向かいました。


     

〈私の庭みんなの庭〉。奇妙な石碑と、手押しポンプ(ちゃんと動きます)
この奥にメダカの泳ぐ小さな池や家庭菜園がある。狭い空間だけど楽しそう!


     

ソメイヨシノ発祥の地と染井稲荷神社。ここの桜が元祖だった・・・


2時を回ってしまったけど、握ってくれました。1.5人前で750円。
生協の鮨パックも580円と安いけど、ここには敵いません・・・


 雨上がりにおでんを買い食い、本郷通りに戻ってからは、旧古河庭園まで寄り道せずに歩きました。洋館と薔薇が有名な旧古河庭園は、元は陸奥宗光の別邸でした。現在ある洋館と洋風庭園の設計者はジョサイア・コンドルで、無縁坂の旧岩崎邸も設計しています。和風庭園の作庭者は小川知兵衛。今回は薔薇の陰に隠れがちな和風庭園をじっくり見ようと思ったのですが、後述の理由で、やっぱり陰に隠れてしまいました・・・なお、事前に予約を入れれば、洋館の中も見学できます。


     

                   



                   

 一番花は散ってしまったけど、実に多くの種類の薔薇が雨上がりの姿を見せてくれた。カトリーヌ・ドヌーヴ、ヴィクトル・ユーゴー、プリンセス・マサコ・・・あっ、家の庭と同じ薔薇が・・・アンジェラという名前だったんだね!


日本庭園も実に見事なものだった。が、しかし・・・

どこからともなく、アイドル登場!

                   

 可愛いらしい爪とぎパフォーマンスで、近くにいる者の心をとろけさせ、私に近づき、スリスリしたのち、足の間で「ゴロニャン」のリラックスモード・・・たちまち、庭園そっちのけで撮影会が始まりました。でも、ニワトリさんだけは動くこともままならず、かくなるうえは、真上から失礼してパシャ!(本邦初公開、見苦しいニワトリの足・・・

 この猫を連れて帰りたくなりましたが、涙を飲んでお別れです。もう一度バラ園を一周してから旧古河庭園を後にし、道なりに飛鳥山公園に向かって歩き出しました。すぐそば向かいの平塚神社隣に、みたらし団子が有名な〈平塚亭つるおか〉があるのですが、残念ながら日曜日はお休みでした。
 ずんずん歩いていくと〈ゲーテの小路〉と名付けられた「普通の道」と交差しました。どうせだから〈ゲーテの小路〉に入ると、やがてゲーテ記念館に着きました。でも、ここも日曜日は休館・・・
 先ほどの交差点に戻って向かい側に渡れば、そこが飛鳥山公園です。公園内には〈渋沢資料館〉〈飛鳥山博物館〉〈紙の博物館〉と、三つの博物館がありますが、今日は時間も押してきたので、飛鳥山の歩道橋を渡って、都電荒川線で大塚駅に戻ることにしました。
 本日の散歩は、交通費480円(JR160×2=320円、荒川線160円)、ランチ1010円(鮨750円、おでん260円)。入園料450円(六義園300円、旧古川庭園150円)。これだけだったら優秀だったのですが・・・



                   

立派な〈ゲーテ記念館〉と、飛鳥山公園内に展示されている都電と機関車(D51)


                   



 長い影を引きながら都電が走ってきた。「路面電車の日」に、レトロ車両も花電車も見られなかったけど、広告が張られていない7000形が二両続けて現れた。都電荒川線については、今後もレポートしていきます。チンチン~♪ 


『のだめカンタービレ』第18巻 ~ 梅雨空

2007-06-13 22:18:19 | 音楽の森




お待たせ、第18巻! プリリン付きを買ってしまった・・・


 待ちに待った(でもないか)『のだめカンタービレ』第18巻が発売されました。早速、帰宅途中に東京駅構内の本屋さんで(通常版にするか、マスコットのプリリン付きにするか、15秒迷って)購入、家まで待ち切れず、少しばかり抵抗を感じつつも、電車の中で読んでしまいました。
 黒木君の出番がわずか1ページ(顔だけの出演を入れても2ページ・・・)、それも本線とは関係ない高橋君(覚えてます?)絡みの【オマケ4コマ】だったのが、なんとも残念でした。最近、福士さんの姿を見ていないこととも妙にシンクロして、青緑くろきんファンとしては、一抹の寂しさを感じる六月・・・

 別に黒木君がそうだというわけではないのですが、じとじと・むしむし・じめじめ・陰々滅々な梅雨の季節に相応しく? 第18巻では皆が皆〈青緑〉化して、停滞気味の梅雨空といった様相でした。でも、梅雨という季節が秋の実りのためにもなくてはならないように、人生にも停滞の時期が必ずあるし、努力が実を結ぶまでに絶対必要な停滞だと思います。とんとん拍子でいくことの方が珍しいわけだし、コミックの世界でも、ただゲラゲラ笑っているだけでことが運んでいった時代は過ぎて、千秋も、のだめも、フランクも、ソン・ルイも(そして出てこなかったくろきんも・・・)、暗中模索とは言わないまでも、ときに青緑色になりながらパリの空の下で生きている。今巻では、フランクとソン・ルイのエピソードが、じんと来ちゃったけど、のだめの成長ぶりも著しく、そろそろ「変態の森」から解放しあげてもいいんじゃないかと思いました。ここまできたら、ギャグ漫画にこだわることはないもん。

 それから、新たな登場人物として、テルミンを操る作曲科の女学生ヤドヴィガ(ハンガリー人17才)がちらっと出てきますが、のだめにちょっと似た可愛い奇人の今後の活躍に期待します。そして千秋は、とうとうヴィエラ先生と再会(それも、のだめのコンサートに向かうバスの中で)、のだめは千秋が聴きに来なかったにもかかわらず、サロンコンサートを見事に成功させますが、やはりショックは隠せません(千秋はあのアパルトマンを出ちゃったことだし・・・)。ソン・ルイの初恋(相手は気持ちに気づいていませんが・・・)の行方といい、今後も目が離せません。
 電車の中ではやや物足りない読後感だったのですが、夜10時ごろ、昨日までとは明らかに違う、肌にまとわりつく梅雨の空気を感じながら18巻を読み返したら、妙に納得しました。でも、そちらの季節は冬だったんですね。二人がパリに留学してから一年が経とうとしているんだ・・・がんばれ、のだめ!
(それから、黒木君をもっと登場させて~~)


「ついに見えた~~」と、思ったんだけど・・・

2007-06-12 20:13:47 | 自然&いきもの+ゾウのはな子



 6月12日(火)午後7時30分、空を見上げると雲が殆どありません。今日こそ水星が見られるのでは?と、観測地点(大げさ。近所の駐車場です)に向かいました。ここから眺める西の空には三階建て以上の背の高い建物がないので、晴れていれば間違いなく水星が見えるはずです。この週は現場が忙しかったのですが、7時には帰宅できていました。こちらの条件も、大変良かったのです。
 6月2日から毎晩、水・金・土星のそろい踏みを見にいきました。初日、金星と土星は見えたのですが、水平線近くにかけてうっすらと雲がかかっていたため水星を目撃することはできず、翌日に期待をかけました。が、しかし・・・
 3日→かろうじて金星のみ、4日→金星だけ見える、5日→何も見えず、6日→金星しか見えない、7日→見に行くのを忘れた、8日→見にいったけどどんな様子だったか忘れた、9日→雨、10日→夕方になって一瞬晴れたが×、といった塩梅で、条件が良い筈の10日間が無常にも過ぎてしまいました。昨日の月曜日は、日中天気が悪かったせいか、すっかり忘れていました。そして今日・・・

 幸い、雲一つありません。空が明るすぎるのが難点でしたが、しばらく見つめていると、それまで見えなかった星が見えてきて、金星の左肩上方に土星らしき姿が見えました。そして、その対角線上の低い空に、土星と同じくらいに光る星が・・・
「あった~~~~」
 じっと見つめていると、夜空に溶けて見えなくなってしまうほどの瞬きです。ふっと眼をそらして再び空を凝視すると、確かに星が確認できます(妄想じゃない!)。帰宅途中の人々が、駐車場のど真ん中で佇んでいるニワトリに、いぶかしげな視線を送って通り過ぎていきますが、彼らに「空を見上げてごらん」と声をかけたくなるほど、気分が高揚してきました。明日はもう見られないかもしれないので、8時くらいまでほぼ一直線に並んだ水・金・土星を眺めていたのですが、土星の延長線上にもう一つ明るい星が見えるではありませんか。これで四つ星です。
「家に帰って『星座を見つけよう』でも見て、あの星が何なのか確かめよう」

 帰る時分になると、星の数が増えてきました。まだ〈春の大曲線〉も見えるはずだけど・・・まず、うしかい座のアルクツールスを探すのだっけ? それともしし座のレグルスから追っていくんだっけ。すっかり忘れてしまった星座の知識を思い出そうとしましたが、家に帰って『星座を見つけよう』を読んだ方が早い!
 私の部屋から西の空が見えるのですが、小窓を開けて身を乗り出すと、ここからも水・金・土星が確認できました。

 そんなわけで、ちょっとした幸福感に包まれていたのですが、翌日国立天文台などのHPを閲覧していると、水星の位置が、私が見たものとどうも違う・・・
 日の入り時の最大高度が20.2度(5月21日)なので、6月12日の午後7時30分ならば、それより水平線に近い位置にあったはず。三つ星の並び方も、水星は土星→金星の延長線上よりも低い高度で光っていなければなりません。私が見た水星は、延長線上よりやや高い位置だったと思います。どうにも気になったので、星座表で確かめてみたら、私が目撃したのは水星ではなくて、ふたご座の1等星ポルックスのようでした。(でも、その隣にカストルは見えなかったけどなあ~)
 一方、金星→土星の延長線上で光っていたのは、しし座のレグルス。天頂付近で輝いていたのが、うしかい座のアルクツールス。北斗七星の尻尾からアルクツールスへ弧を描いていくと、青白く光る星=おとめ座のスピカにたどり着き、これを〈春の大曲線〉と呼んでいたのでした。南の低い空に一際明るく光ってたのが木星で、その近くに赤い星が見えれば、それがさそり座のアンタレス。東の空に目をやると、「夏の大三角形」が見られるかもしれません。まだ低い位置だと思うけど・・・
 なるほどね。やっぱり予習しておくべきでした。水星を見つけるのは相当難しいと思いますが、見つかるとすれば、ポルックスの下=ふたご座の足のあたりで光っているでしょう。明日13日は、(『のだめカンタービレ 第18巻』の発売日!)梅雨入り前の最後の晴夜とも言われています。さあ、もう一度、「星座を確かめよう!」


 今日13日、水星は20時18分には水平線下に沈んでしまいます。雲が多くてこの日も見ることができません。確認できたのは、金星、木星、その横のアンタレス、アルクツールス、そして東の空にベガ(織姫)。水星は見ることができずに終わってしまいそうですが、星を探す楽しさを久し振りに味わって、何だか中学生に戻った気分です。これから星も賑わう夏がやってきます!

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江戸の水を旅する(その3) ~水道橋から聖橋へ

2007-06-11 23:44:00 | 日常&時間の旅


聖橋と御茶ノ水駅


 小石川後楽園を後にしたニワトリは、外堀通りを再び神田川に沿って歩いていった。横断幕を抱えた人々が、歩道に折りたたみ式の椅子を並べて座り込んでいる。東京大気汚染訴訟の原告団の人々だった。それで、目の前の建物がTOYOTAの本社だと気づいた。「ご苦労様です」と、頭を下げて通り過ぎた。





 すでに14時を過ぎていたので、お腹が空いて仕方がない。東京ドーム前の外堀通りにはファーストフード店が並んでいたが、どこも席がふさがっている。水道橋駅ガード下の「らんぷ亭」に入った。
 5分で食事を済ませ、再び神田川に沿って歩き出す。水戸藩邸を通過した神田上水は、水道橋の東で神田川に架けられた木製の懸樋(かけひ)を渡ってお茶の水へ流れ、神田・日本橋方面へ給水された。懸樋が架けられていた場所に石碑が建っているとのことなので、探しながら歩いた。水道橋から御茶ノ水に向かう坂道の途中にあった。記録写真を見ると、コンクリートの護岸工事が行われた以外、地形そのものは今も変わっていない。緑の背後に並ぶビルを消すと、当時の姿になる。2枚目の写真は懸樋の再現模型。


           

 神田上水は、上の写真のように石垣を組んで作った水路=石樋を流れた。昭和62年~平成元年にかけて発掘された幹線水路の一部が、本郷給水所公苑内に移築復元されている。 
 坂道を登りきって川沿いに進み、順天堂大の手前で左に折れて道なりに歩くと、写真の神田上水石樋が展示されている本郷給水所公苑と、東京都水道歴史館の前に出るのだが、東京都に住んでいても、ここを訪れたことのある人は殆どいないと思う。かくいう自分もこの日が初めてで、それまでは存在すら知らなかった。


     

このように石垣を逆台形に組んで(高さ120~150cm)水路を作り、厳重に石ふたをかぶせた。神田上水は、東京で最も古い上水道だ。




                  

 本所給水所公苑にはバラがきれいな西洋庭園(上)と、武蔵野をイメージした和風庭園(下)がある。殆ど知られていないのはもったいない・・・

 
          

 大名屋敷跡から発掘された木樋=当時の水道管。継ぎ目には麻をつめ、水漏れすることはなかったというのだから、大したもんです!




                  

 実物大に再現された江戸の長屋。模型を見ると、地面に近い水路が下水道で、上水道はその下に埋められていて、井戸状の丸枡から釣瓶で水を汲んでいた。下水道を設けたのは衛生上も好ましい。江戸はパリなどより遥かに清潔だった。




 お茶の水橋から聖橋を眺めていたら、オレンジ色の中央線が御茶ノ水駅に到着した。来年の今頃は見ることのできない光景だ。こうして眺めると、すごい場所に駅を建てたものだと感心する。そのせいか、改修工事もままならず、中央線の各駅で進められているエレベーターの設置工事も、現状では非常に困難とのことだ。
 江戸の水を巡る旅は、交通費320円(山手線160円、都電160円)、食費550円(牛丼350円、林檎200円)、入園料(後楽園300円)と、財布にもやさしい旅だった。6時間で計10kmぐらい歩いたかな?


江戸の水を旅する(その2) ~小石川後楽園の花鳥風月

2007-06-10 23:10:24 | 日常&時間の旅




モネも愛した睡蓮・・・


 巻石通りの標識から小石川の旧水戸上屋敷(現小石川後楽園)までの約2kmは、神田川に沿ってひたすら歩くだけだが、このあたりから印刷工場や出版社が増えてくる。その中でもひときわ目立つのが銀色の大きなビル=凸版小石川ビルで、クラシックのコンサートもよく開かれるトッパンホールと、印刷技術の歴史がわかる印刷博物館がある。浮世絵版画が刷り上がるまでの工程も展示されているとのことで、是非とも立ち寄りたかったのだが、雲行きがいよいよ怪しくなってきたので先を急ぐことにした。
 白鳥橋を渡り、小石川運動場を一周して小石川後楽園に到着(運動場一周はちょっと遠回りでした。道をよく知らない証拠!)。東京ドームや後楽園遊園地の裏にあるとは思えない静かな空間だ。時折、絶叫マシンを楽しむ人々の嬌声が聞こえてくる。この頃になって、ぽつりぽつりと雨が落ちてきた。が、まだ傘を出すほどではない。入園料300円を払って足早に庭園内に入った。こんな天気なのに、園内は結構混雑していた。


     

 雨が似合う花菖蒲田(左)と、神田上水跡を跨いだ八つ橋付近に咲く濃紫の杜若(右)。杜若は日本の沼沢地に生える野草で、はるかに古い時代から愛でられてきた。花菖蒲より一ヶ月ほど前に咲く。このときちょうど、庭園ガイドの女性がお客さんに説明中で、ニワトリも耳を(ダンボにして)傾けた。こちらが原種とのことだった。あとで園芸図鑑を引いてみると、「羅生門」という品種に似ている。羅生門が戦乱で荒れ果てる前から咲いていたのかもしれない。花菖蒲が園芸草花の人気者になるのは江戸時代の後期だから、光圀の時代には杜若が主流だった?



                    
                  
 
 花菖蒲田1000㎡に660株の花が咲く。二枚目の写真は楽屋裏?から見た田園風景。稲田・花菖蒲田・藤棚が並んでいる。広すぎもなく狭すぎもなく、程よい感じ。見物客も程々といったところか? 手前の田圃は、光圀が農民の苦労を少しでも肌で感じてもらうためにこしらえた(さすが黄門様!)。今では、文京区の小学校に通う生徒たちが田植えと稲刈りをする。その話を聞いて、ちょっと羨ましい気持ちになった。


          

 花菖蒲と睡蓮が見ごろの後楽園だが(睡蓮は9月まで)、園内には梅林、桜(入口近くの枝垂桜が特に有名)、藤、ツツジ・サツキ、杜若、花菖蒲、睡蓮(内庭)、蓮池、紅葉(龍田川周辺と通天橋周辺が見事)が巧みに配置されていて、日本の四季を満喫できる仕組みになっている。一つ松や内庭の松も見事だ。
 だが、小石川後楽園の見どころは花木だけではない。園内には、日本の名所を模した愛宕坂(残念ながら登頂禁止の超急坂)、大堰川(神田上水がなくなって枯山水化)、屏風岩、白糸の滝、清水観音堂、音羽の滝、木曽川、龍田川などがあり、西行を慕って建てられた西行堂や、光圀が大好きだった史記「伯夷列伝」に登場する伯夷&叔斉(漢文の授業、覚えてますか~)像を安置した得仁堂に、当時の最高教育を受けた者が当然嗜んだ中国趣味を反映して、円月橋や西湖堤を設けている。
(造成には明の遺臣=朱舜水も参加。〈後楽園〉も彼の命名)
 京都嵐山を流れる大堰川をイメージして作られた「大堰川」は、案内板によれば、三代将軍家光が何度も足を運んで工事の進行状況をチェックするほど力が入っていて、神田上水から引き込んだ水をふんだんに使って清流を作ったらしい。
 大泉水で舟遊びに興じたり、梅林で桃源郷に酔いしれたり、円月橋や西湖堤を眺めては憧れの中国へと思いを馳せ、大堰川や清水観音堂で京の雅を味わい、木曽川の峡谷を歩き、龍田川で紅葉狩りを楽しんだ後は、初雪を待つ。五季を楽しむことで暑さ寒さと暮らしていく。そして、西行堂で俗欲からしばし離れて夢想する・・・最高の贅沢かもしれない。




                   

水面に橋が映ると満月(真円)ができる円月橋と西湖堤。後者は、中国の景勝地=杭州西湖の湖面を直線的に分ける堤をミニチュア化したもの。写真ではわかりにくいかもしれないが、中央の石のアーチが、仙人が住むとされる蓬莱山を表わしているそうな。東京だと、浜離宮にもある。ここで古の白楽天や蘇東坡を偲んで漢詩でも詠んだ?


           

 こうして切り取ると、断崖絶壁の大岩に見えないこともない屏風岩と、木曽川から龍田川にかけての道。昼でも薄暗く、このときかなり雨が降っていたのに全く塗れなかった。天然のアーケードを作っている樹木の中でも、秋の紅葉はひときわ美しいだろう。


                   



 江戸時代初期の寛永6年(1629)に、水戸徳川家の祖=頼房が、上屋敷(最初は中屋敷だった)の庭として造園し、二代藩主=光圀の代に完成した後楽園。
 回遊式築山泉水庭の中に、光圀の世界観や思想が反映され、夢や好みが散りばめられているのだけれど、京都の庭と比較すると非常にわかり易い気がする。世界や小宇宙を箱庭に縮小させるのも日本人的だし、日本人の好むテーマパークの元祖ともいってもいいかもしれない。これだけ雑多なものを取り入れていながら、悪趣味な部分が全く感じられないのは、光圀という人の知性と芸術一般に対する造詣の深さを示しているのではないだろうか?


                   

                       

 願わくば、戦災によって失われてしまった唐門(大泉水側と内庭を仕切っていた)、清水観音堂、西行堂、八卦堂の再建と、神田上水がなくなったことで枯れてしまった大堰川や音羽の滝を復活させて、本来の姿を味わってみたい。
 ここに来たのは三度目だが、今回初めて「小石川後楽園」の良さがわかったような気がする。これも一種の成長といえるのだろうか? パンフレットが謳っている「大江戸・東京に残る深山幽谷」の地を、今後は定点観測しようと思う。

 園内をくまなく歩き(約1400m)、花菖蒲田に至っては三度も出向き、合計2時間以上過ごしたせいか、後楽園だけでかなりの文章になってしまいました。短くまとめられなくてゴメンナサイ!(日付は、20分と目を開けていられなかったのですが、書き出した日曜日にしておきます)
 最後に、花菖蒲田に現れたお客さんの写真を・・・




突然、アオサギが藤棚と花菖蒲田の間に降り立って・・・
エサを取る様子でもなく、ゆっくりと花菖蒲に近寄り、
首を伸ばして花を愛でた! これぞほんとの花鳥風月?


江戸の水を旅する ~ 早稲田からお茶の水へ、神田上水を巡る

2007-06-09 21:39:30 | 日常&時間の旅


稲田・花菖蒲田・藤棚・森と重なる風景。ここはどこ?


 予定通り工事が終わったので(早く上がりたいから7時に現場に行ったのだ)、9時半には会社を後にすることができた。
 本日初日のオムニバス映画(七人の侍ならぬ七人の監督による七作品)それでも生きる子供たちへ』の初回上映に間に合う時間帯だったが、前売券を家に忘れてきており、次善の策を通勤途中で考えた結果、浅草から道中〈長命寺の桜餅〉でも頬張りながら、江戸時代から花の名所として有名だった〈堀切菖蒲園〉まで歩くことにした。
 だが、雲行きが怪しい。局地的集中豪雨の恐れがあると、天気予報で何度も注意を促している。花菖蒲に雨とは粋な演出だが、バケツの水をひっくり返したような雨はさすがに歓迎しない。くわえて、これは偏見なんだけど、京成線と相性が合わず殆ど乗る機会がなかったせいか、どこをどう走っているのかさっぱりわからない。堀切菖蒲園駅から帰り道を考えるのも面倒だと、上野で地下鉄銀座線に乗り換えるために一旦下車したのに、再び山手線に飛び乗ってしまった。
 駒込から旧古河庭園の薔薇でも眺めて、都電荒川線を横目に(レトロ車両も通るかもしれない)飛鳥山公園を散策しても良かったが、このコースは日曜日の「路面電車の日」用に考えていたプランだった。そこで思いついたのが、江戸川公園から神田川に沿って神田上水跡を歩いて御茶ノ水から帰宅するコース。ホームグラウンドといってもいい場所だけど、まだ歩いたことがない。
 題して、「江戸の水を旅する」。小石川後楽園に寄り道すれば、堀切には敵わないけど花菖蒲も見ることができる。なかなか魅力的な散歩コースを発見したかもしれない・・・空はどんより曇っているが、気分は爽快である。


答えは小石川後楽園。花菖蒲が盛りを迎えている。


 出発点を地下鉄=江戸川橋ではなく、都電荒川線の早稲田に定めた。内回りの山手線に乗って、大塚で都電荒川線に乗り換える。いつの間にか、荒川線沿線を彩る薔薇の花に紫陽花が混じるようになっていた。5分ほど待ったのち、早稲田行きの路面電車がやって来た。通勤電車並みに混雑しているのに、それでも乗客減少に歯止めがかからない状況は改善されていないのだろうか? 
 二週間前にも荒川線に乗車したが、大塚から早稲田方面に向かうのは、ほぼ一ヶ月ぶりだ。この区間の車窓風景も魅力的で、特に雑司が谷から学習院下間の下り坂に風情があるから、できることなら運転士の隣に立って、正面を眺めたい。幸い車内が混んでいたため、その位置しか残されていなかった。チンチン~♪


                  

 早稲田から神田川に沿って、〈水とみどりの散歩道〉を歩き出すと、すぐに〈新江戸川公園〉前に出た。細川家の下屋敷がそのまま公園化された。目白台地の斜面と豊富な湧き水を利用して、池と深山の景観に仕立てている。回遊式庭園には、四季折々の花が咲く。なんて解説してるけど、実は全くノーマークの公園でした!
 ところで、江戸川からはかなり離れた場所にあるのに、なぜ江戸川公園と呼ばれているのかというと、このあたりの神田川がその昔「江戸川」と呼ばれていたからだった。昭和40年の河川法改正により神田川に統一されたが、公園の名前はそのまま残されたというわけ。江戸川のルーツはここにあり?


     

 新江戸川公園と関口芭蕉庵(昭和13年焼失。再建されたが戦災で再度焼失・・・)の間に、〈胸突坂〉という坂道好きには上らずにはいられない坂があったので、用はないけど往復した。見た目よりかなりの急坂だ。〈水とみどりの散歩道〉は桜並木の下を歩く。水がより浄化されれば素晴らしい。来年の春は、この道を歩きたくなった。


江戸川公園はウナギの寝床のように細長い・・・

 
 都市計画で最も大事なのが交通(道)や上下水道などのインフラだ。普段は当たり前のこととして使っているが、整備するまでに払われた労力と、今後の維持管理を考えると、自然と頭が下がる思いになる。江戸幕府が開かれ、それまで関東の片田舎だった土地が首都になったが、百万都市にふくれあがった江戸の市民に飲料水を供給するのは大変なことであり、上水敷設の歴史がそのまま江戸と東京の歴史といっても過言ではない。現在、水道に携わる仕事をしていながら、今までそのことを一度も考えたことがなかった。
 江戸川公園のある小石川には、かつて井の頭池を水源とする神田上水をせき止める大洗堰があった。ここで水位を上げて、小石川の水戸屋敷と神田・日本橋方面に給水していたのである。江戸川公園内の遊歩道に、堰の取水口に設けられた角柱が残されている。神田上水は、水質悪化のため昭和8年に取水口が閉鎖された。


                   



 公園内にある神田上水大洗堰の取水口跡と、今でも関口台地から湧き出てくる湧き水。飲んでは駄目と書かれていたが、意外ときれいな水だった。水温はそれほど低くない。江戸川公園は空中庭園とも呼ばれる中空の橋が張り巡らされていて、その一部が滑り台につながっているなど、子供も喜びそうなところだ。藤棚の下のベンチで、鳥の声を聴きながら思い思いのひとときを過ごすのもいいし、遊歩道を散策するのもいいだろう。


      

 鬱蒼とした森と幾重に重なる石垣。近くには高速環状線が走り、大気汚染も懸念されている場所だとはとても信じられないが、江戸川公園の入り口は、高速道路の真下にあった・・・
 井の頭池と、善福寺池・妙心寺池から引いてきた水が大洗堰でせき止められ、水位を上げたところで勢いよく江戸の町中に流れていったように、これから歩いていく。のども渇いてきたので水分補給しようと、公園入口隣りの八百屋で林檎(ふじ)を買った。音羽通りを渡り、巻石通りの入口にあった神田上水の標識(ここで小石川の水戸屋敷に暗渠で分岐)で休憩しながら、林檎をかじった。お腹も空いてきたところだったので、林檎の果肉は一石二鳥の結果をもたらしてくれた。

 いきなりパソコンが落ちて、記事も落ちちゃった。ショックです。ここまで書いたところで、続きは明日・・・


浪漫を旅する ~茨城交通湊線その4

2007-06-08 23:55:55 | 鉄道紀行&乗り物



 ようやくたどり着いた虎塚古墳は、小山が二つ綺麗に盛り上がった立派な前方後円墳だった。林の中で悠久の時を刻んでいる。
 この形式の古墳は、堺にある仁徳天皇陵などの巨大古墳が有名だが、はるか東国にもこんな立派な、しかも装飾古墳(高松塚やキトラ古墳の装飾とは一味異なる)があったなんて、全然知らなかった。7世紀初頭に作られたものらしい。
 全長56.5m、後円部径32.5m、前方部幅38.5m、高さ5.5m。ここを訪れた人がよく上るのか、草が切れて道のようになっていた。


                   

 昭和48(1968)年の発掘調査で、後円部に横穴式石室(最初の写真だと、奥に見える丘)があることがわかり、石室から白色粘土を下塗りした上にベンガラ(酸化鉄)の顔料で幾何学模様や武具を描いた装飾壁画が発見された。また、石室には成人男子の遺骸と、太刀など副葬品が埋葬されていた。春と秋の年二回、一般公開されるというから、今度は是非、そのときに訊ねてみたい。


石室内部。隣の資料館で、装飾壁画のレプリカが展示されている。
それにしても、古代の墓の話になると、何でこんなにワクワクするのだろう?



 虎塚古墳から林の中を150mほど緩やかに下ると、同じく7世紀に作られた横穴墓群〈十五朗穴〉に出る。(崖状の岩場の正面下には田んぼが広がっていた)
 発掘調査によって、(十五どころか)約120基の横穴墓が確認されているが、墓群全体だと数百基に及ぶらしい。内部は横穴式石室に準じた作りになっていて、玄室・玄門・羨道・前庭部などから構成されている。須恵器・直刀・装飾品等の副葬品も多く出土している。


                   



 防空壕?カッパドキア?みたいな〈十五朗穴〉。墓というより、立派な住居に見える。墓の内部にも、このような棚が細かく彫りこまれていた。夜の肝試しに最適?



 十五朗穴付近の草むらに、「マムシに注意!」と書かれた看板が立っていたが、実際に出たのは綺麗なシマヘビだった・・・
 25分かけて中根の駅に戻る。畑道を行くと、黄土色に黒の線模様の入った紐が落ちていた。よく見ると、大人のシマヘビだった。小学生のとき、子供のシマヘビをポケットに入れて学校に連れて行き、一緒に授業を受けたことがあった。捕まえてやろうと思ったが、当時の敏捷性と怖いもの知らずをとっくに失っていたのだろう。あっさり逃げられてしまった。写真も撮れず・・・


           
 
 坂道を下ると、遠くに駅が見えた。すると、かすかな踏切音と共に下り列車の3710が通過していった。次駅の那珂湊で上り列車とすれ違うのだから、10分後には上りの気動車(しかもキハ205)がやって来る筈だ。絶好の撮影機会を得て、ニワトリは、左端に見える農道を(またしても)走った!


                   

(上)の写真は、ニワトリが撮影地点に選んだ場所。自分以外に野田知佑さんに似た男性(相棒にゴールデンリトリバーを連れていた)が列車を待っていて、私にポーズを送ってきた。もう一人、鉄道オタクぽい人が風景と化してキハ205を待っている。しばらくして、踏切が鳴り出した。振動が線路を伝わってきた。胸が高鳴る。
(下)の写真は、そのとき撮影したキハ205。一回のシャッターチャンスに賭けたのだが、気動車に寄り過ぎてしまった。遠景で撮る筈だったのに・・・
 キハ205が駅に停まると、猛ダッシュして車内の人になった。他の二人は撮影を続けている。場所がわからなかったため今回は訊ねなかったが、この付近の畑の中にある〈三反田蜆塚貝塚〉も、次回は訪ねてみたい。土偶に骨角器に人骨までが出土する本格的な遺跡である。三反田蜆塚貝塚の資料は、 → ここをクリック。




                   

(上)鹿島臨海鉄道大洗線は、水戸~鹿島神宮間を1時間10分かけて走るローカル線だ。新鉾田から歩いて鹿島鉄道の鉾田に向かうつもりだったが・・・
(下)水戸駅には魅力的な駅弁が多く、選ぶのに苦労したが・・・


 勝田駅には13時7分頃に着いた。ここでトンカツ(勝田は勝田マラソンとトンカツと彫刻の町)を食べて、馬渡埴輪製作遺跡を訪ねる手もあったが、JR鹿島線の鹿島神宮~延方間の北浦を渡るためだけに、水戸で鹿島臨海鉄道鹿島大洗線に乗り換え、終点の鹿島神宮駅でJR鹿島線に乗り継いだ。
 大洗線の発車時刻が14時03分。40分ほど待ち時間があり、駅弁を買ってホームのベンチでお弁当にすることにした。幕の内弁当はかなりおいしかったが、弁当を食べ終わった時点で、水戸~鹿島神宮間の切符がないことに気づいた。「えっ?」
(買い直した乗車券1530円分、豪華な弁当を食べたと思って・・・)

 JR鹿島線は、香取~鹿島神宮間を走行する。途中下車をするなら、潮来が一番だと思う。アヤメや菖蒲の咲く水郷地帯を舟で散策すると、とても楽しいだろう。
(今週末から〈あやめ祭り〉が開催される)
 この日は、鹿島神宮~延方間の湖=北浦を渡るのが目的だった。鉄道写真の撮影スポットにもなる橋で、(行ったことはないけど)イタリア本土からヴェニスに入る鉄道を彷彿させる橋なのだ。
 白の紺のツートンカラーに身を包んだ113系旧式車両が左にゆっくり曲がって、北浦にかかる橋梁が見えてきた。至福の時間は十数秒あっただろうか? もう一度乗りたい。その際は、橋のふもとにまで行って、北浦を渡る113系の写真を撮ろう。
 香取から成田線で千葉に、千葉から総武線快速で東京駅に戻った。18時半、帰宅。ヘトヘトに疲れたが(その前の仕事がハードだったが・・・)、浪漫の旅に相応しい充実した一日だった。
 
 茨城交通湊線は、他のローカル線と同じように存続の危機に直面しているが、これだけの観光スポットがあるのだから、案内標識やマップを整備し大々的にPRすれば、鉄道に乗ってくれる人も増えるのではないだろうか? 人があまり訪れないローカル線のまま存続してほしい気持ちもあるが、そんなことを言っていたら、それこそ廃線になってしまう!
 ローカル線の旅にすっかり魅せられてしまった。もっともっと乗りたい! でも、交通費だけでも今回6610円(+1530円・・・涙)の出費になり、給料日まで遠出はできないかもしれない(国立~東京間の定期がなければ、さらに1080円かかる)。明日は、ちょうど一週間かかった給水工事の最終日で、撤去材の搬出が終われば自由になれる。さて、どこへ行こうか? それとも映画を見る?


最後は懐かしい113系に乗って・・・なさい