4月30日、ポレポレ東中野の「特集上映」に行ってきました。いつもだったら考えられないことですが(今まで取材に来なかったのに、今年は福島第一原発事故を受けて問い合わせが殺到したとか・・・)、この日は立見席を含めてチケットが完売してしまいました。
ニワトリさんは、アオガエル君を出動させて武蔵境まで「油そば」を食べてからポレポレに向かいました。ある程度混むことを予想して開場時間の50分前になる13時40分には着いていたのですが、整理券は86番と後ろの方だったので(座席数=110。立ち見も入れて130人くらいが入場した?)入場したときにはかなりの席が埋まっていて、仕方なく前寄り左から三番目の席に座りました。
しばらくして、慌しく中年女性が現れました。「早く来たのに、何でこんな席しかないの?」と案内係に文句を言い、ご主人らしき人に「しょうがないわね、あんたはそっちに座んなさいよ。私は前の席に座るから」と命令調で声をかけると、「何でこんな席なの?すいませんすいません、全くなんで?」と早口でまくしたてながら、右隣のおじさん、ニワトリさん、左隣の老婦人を跨いで一番左端の席に着きました。怒りが収まらないのか、席に着いても大きな声で「11時に来たのに・・・何でこの席なの?」と呟いています。
(変な表現ですが、正にそんな感じだった)
連れの人が「もういいじゃないか」と、虫の鳴くような小さな声で彼女を諭しても無視して(気の毒で、この人がどんな顔をしているか振り返って確認することができなかった)、周りに座っている人全部に語りかけるような感じで、「ごめんなさいね、文句言っても始まらないのに。でも、ほんと頭に来ちゃう」と愚痴をこぼします。
見かねた?左隣りの老婦人が、イチゴ味のドーナツを頬張り、リンゴジューズをぐびぐび飲みながら(見たわけじゃないけど音と匂いでわかった)、「整理券は何番だったんですか?私は100番超えていたけど、この席に座れましたよ」と声をかけました(自分は86番だったけど、グズグズしていたのでこのおばさんと変わらない席になってしまったのか・・・と思った)。
「32番よ、32番! なのに・・・」
「どこにいらしたんですか、整理券の番号順に入場しているのに」
「知らなかったわ、そんなの」
「15分前に開場するって言ってたでしょ。聞かなかったの」
「聞いたわよ。1時・・・じゃない、2時15分まで表にいたんだから」
「15分前は2時5分よ。それじゃ、あなた仕方ないじゃない。皆、ロビーに集まってたのに・・・。放送もあったでしょ、聞かなかったの?」
「(表までは)聞こえなかったわ」
そう言われてようやく諦めたみたいでしたが、今度はおもむろに隣のご婦人に話しかけました。
「それにしても、すごい人ね。皆気になるのね。ここでやってるって、色々宣伝してたから」
それを聞いて、話しかけられたご婦人(メタボ気味)は気を悪くされたようでした。
「そうらしいけど、私はいつも来ているので関係ないわ」
ニワトリさんの耳には、「自分はあんたみたいなミーハーとは違うのだから、一緒にしないで」と聞こえたのですが、彼女は全く臆せず、「見て見て、記事もちゃんと持ってきたのよ」と、誇らしげに新聞を取り出しました。
「私は、そんなの、見ないの!」
彼女は、吐き捨てるようにそう答えたお隣さんを不思議な生き物を見るような感じで呟きました。
(聞いているだけなので、表情はあくまで想像)
「皆、やっぱり気になるのよね~。こんなに満員になるのだから・・・」
『ひろしまを見た人』が始まってしばらくすると、小さいながらもはっきりいびきとわかる音がどこからともなく聞こえてきました。意志の力でイビキの音を消したのですが、上映が終わったときに音源が判明しました。ニワトリさんの左隣のご婦人だったのです!
「全く・・・偉そうなことを言って、全然見てなかったのか? ミーハーおばさんの方がまともじゃないか!」
ところが、次のスライド上映が始まってすぐ、ミーハーおばさんが壁にもたれて熟睡していることがわかりました。左隣のイビキ婦人のいびきはだんだん大きくなり、何人か咳払いをしましたが完全に夢の中です。21分後に場内が明るくなって、ゲストに招かれた大石芳野さんと本橋成一さんのトークが始まったのですが、それでも二人は一向に目を覚ましません。
この二人がいつ起きたのか定かじゃないけれど、大石さんの写真を本人の解説付でスライド上映している頃には二人とも覚醒していたようです。いきなりミーハーおばさんの携帯が鳴り、「アンタとは違う」イビキ婦人が彼女をキリっと睨んだからです(オマエさんのイビキも迷惑でしたよ)。
ニワトリさんは、ここまで足を運びながらスライドを殆ど見ていなかった二人が、原発をめぐる平均的日本人を象徴しているのではないかと、無力感に襲われながらも妙に感心してしまいました。明るい夜が戻ってきているし、自動販売機は照明を落としてバッシングが通り過ぎるのを待っている・・・結局、元の木阿弥か・・・。
「このままでは何も変わらない!」と腹立たしく思ったのですが、次の瞬間、「いや違う、変わらないと嘆くのではなくて、我々自身が変われば良いだけの話だ」と思い直しました。
大石さん&本橋さん、そして『祝の島』を撮った纐纈(はなぶさ)あやさんや祝島の人々は人間らしい素晴らしい顔をしているけれど、自分はいったいどんな顔をしているのだろう? ポレポレ東中野に昼寝に来た人々の感性(品性)の貧しさを笑っている自分だって、きっと貧しい顔をしているに違いありません。自分が岐路に立たされていて、何かを変えるには今しかないことをひしひしと感じました。もしかすると、今度の人災がニンゲンに与えられた最後のチャンスかもしれません。
世界の問題は「フクシマ」だけではなく、日本でも被災地の人々は「将来起こるであろう健康被害」よりも「今日を生きる」ことに精一杯でしょう。でも、自分は被災者ではありません。何となく流されてしまった結果が「これ」です。今後は大いに声を上げることにしましょう。
余談ながら、彼ら以外にも、しかもこともあろうに大石さんと本橋さんの対談中にイビキをかいていた人が数名いたし、『祝の島』の上映中も居眠りしている人が結構いて、私の左隣の男性もすやすやと安らかな寝息をたてていました。
「この素晴らしい絵と音があって、どうして眠れるのだろう?」と憤りを感じてしまったのですが、後で冷静になって考えると、良い音楽が子守唄代わりになるように、映画が睡眠導入剤になったからといって落胆する必要はなさそうです。むしろ喜ばなきゃ? いつ見ても眠れる映画を挙げてみると、面白いかもしれません。

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