硫黄島摺鉢山(169m)頂上に星条旗を掲げる海兵隊員を撮影した写真(ピュリッツアー賞を獲得)が、彼らが戦っていた太平洋の小島から遠く離れた本国の朝刊の一面に掲載された瞬間、長引く対日戦争に嫌気を感じ始めていた人々が一斉に愛国者に変わった。全米中が歓喜に湧いた報道写真に、合衆国政府も素早い反応をみせる。硫黄島の英雄を帰国させ、歓迎イベントを兼ねた「戦時国債キャンペーン」を全国各地で繰り広げれば、莫大な金が国庫に入ると考えたのだ。そしてこの目論みは見事に成功することになる。一枚の写真が歴史を変えたのだ。だが、変わったのは歴史だけではない。英雄として祭り上げられた者の人生もまた、大きく変わることになる。
硫黄島の戦闘は摺鉢山の占領で終わったわけではなかった。日本軍の組織的な抵抗はそれから1ヵ月ほど続けられ、旗を掲げた6人中3人が、その後の戦闘で死亡していた。3人の英雄は本国から直ちに帰国を命じられるが、その際、戦死と報告された1人の兵士が写真の人物ではなかったことが判明する。実は、摺鉢山の国旗掲揚は二度行われていた。間違えられた兵士は最初に山頂に国旗を揚げた人物だった。その後、写真の6人が改めて星条旗を掲げるために摺鉢山に登ったのだ。
なぜ二度も国旗掲揚が行われたかというと、写真の星条旗より小さな星条旗(大隊旗)が山頂ではためく光景を海上から目撃した某将軍が、大いに感動して「記念」に旗を持って帰ると宣言したからだ。これに憤慨した指揮官が「あのクソッたれに大隊旗をくれてやるわけにはいかないから、それをたたんで代わりの旗を掲げるよう」命令したのである。歴史的瞬間は、そのときに撮影されたものだった。とはいえ今さら、ことの次第を国民に説明することはもちろん、間違いを正すことすら難しく、そのまま3人の歓迎会が開かれていった・・・
『父親達の星条旗』は、第二次大戦中にアメリカ本国で最も有名になった「写真」を巡る真実の物語です。エンドロールに流れるクレジットと同時に映し出される写真の数々は全て本物なのですが、これが映画撮影中のスナップだと見間違うほどでした。つまり、それほどリアルな映像を見せられていたということでしょう。イーストウッドは、そこで起こった出来事と、たまたま英雄になってしまった人々のその後の人生を、まるでドキュメント映画を撮っているかのように淡々と語っていきます。凄惨な戦場の描写で観客の神経がまいってしまわないように、戦闘場面はフラッシュバックで細かく刻まれているので、全体の構成が今ひとつわかりにくい側面もあるのですが、時代考証も含めた細部まで事実に即して作られています。彼らが二度目に掲げた星条旗は、日本軍が飲料水用の雨水を集めるために使用した給水菅をポールに見立てたのですが、菅と菅をつなぐソケットという継ぎ手まで正確に再現されていました。
戦場の撮影は、一部が本物の硫黄島で、残りの大部分が硫黄島に良く似たアイスランドの火山島で行なわれたのですが、これほどリアルな戦場の映像を見たのは初めてです。『父親達の星条旗』では日本側の描写が殆どありませんが、米軍兵士に人気があった〈東京ローズ〉の反米宣伝放送が艦内ラジオで流れるシーンには驚かされました。
戦場に向かう船の中で行われたブリーフィングで、作戦将校が硫黄島の日本兵は1万3000人だと解説するシーンがありましたが(実際には約2万1000人が全長18kmにも及ぶ地下トンネルを掘って米軍を待ち構えていた)、これは事実誤認でなく、実際に米軍が予測した数字です。地下水脈も含めて川が存在しない硫黄島では、飲料水を雨水に頼るしかありません。年間降水量を考えると、どんなに多く見積もってもそれ以上の兵隊が生きていくことはできないと、彼らは結論したのです。
映画『父親達の星条旗』と『硫黄島からの手紙』を見る前に、〈大竹壮一ノンフィクション賞〉を受賞した梯久美子さんの著書『散るぞ悲しき ~ 硫黄島総指揮官・栗林忠道』を読むと、この映画をより深く味わえると思いますが、映画を見終わった後で、何か感じることがあったら、是非この素晴らしい本を読んでみてください。原作の『父親達の星条旗』を読むのは、その後で構わないと思います。
『父親達の星条旗』には、『プライベート・ライアン』で狙撃兵を演じたバリー・ペッパーを始め、ライアン・フィリップやポール・ウォーカーといった俳優が出演していますが、戦場では誰が誰だかさっぱりわかりません。演じているのが俳優だとわかってしまった『硫黄島からの手紙』の予告編と比べると、そんなところもドキュメンタリー的でした。その中で、主役ともいえるライアン・フィリップは、無名時代のスティーヴ・マックイーンのような、実に「いい顔」をしていました(『突撃隊』のマックイーンは凄かった)。デビューした頃はアイドル的だったのですが、いい感じで成長していて、今後も楽しみな俳優になりましたね。
最も観客に嫌われただろう女性を演じたメラニー・リンスキーは、私が大好きな女優だったので、(あんな役なのに)女性が殆ど登場しない映画の一服の清涼剤になってくれました。
イーストウッド自身の手による音楽も素晴らしかった『父親達の星条旗』は、完成度が非常に高く、『硫黄島からの手紙』を必要としないほどですが、万に一つの生還も望めないのに、死ぬことも許されず阿修羅のように戦った2万1000人の日本兵が、『硫黄島からの手紙』の中でどのように描かれたのか、今から興味津々です。召集された30~40代の市井の人間が最も苦しい生を生きることを強いられたのですが、彼らがどうしてそれを耐えることができたのか、飢えと喉の渇きに苦しみながらどんな思いで絶望的な戦いを戦ったのか、知ることができたらと思います。
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戦争の無益さと悲惨さを語る映画でした。
姉妹作「硫黄島からの手紙」は其の戦争の無益さに気付きつつも国の為、愛する家族の為に勇敢に戦い抜いた栗林中将と兵士達の感動大作だとか~
日本では12月9日、こちらでは来年2月9日に公開~イーストウッド曰く「戦争映画というよりは国、友情そして家族の絆を掘り下げるヒューマンドラマ」~
亡くなられた多くの英霊達の声なき声に耳を澄ませ~是非観にいきたいと思っています。
「~手紙」の予告編は劇場ではなくて、サイトで観、渡辺謙演じる中将の「生きて再び祖国の地を踏める事無きものと覚悟せよ」を聴きました。
オフィシャルサイトで更に硫黄島の攻防戦の凄まじさやワシントンの日本大使館に武官として駐在した事もあり、アメリカの巨大な工業力を知り尽くしていた栗林中将の事など初めて興味深く読みました。
「硫黄島からの手紙」~私は日本だけでなく世界中の人々に彼らがどんな人間であったかを知って欲しいのです~イーストウッドの温かい手紙を読んで、共感しました。
この島を祖国に対し空襲の格好の基地とはしない為に少しでも長くこの島をも守るため、玉砕を潔しとしなかったが、援軍もなく見捨てられ、最後の最後には玉砕して終わる~
水も食料もない中、兵士達は降伏を拒み、孤立した戦いを続けながら壮絶な死を遂げていったのである~
読みながら思わず手を合わせて英霊のみなさんのご冥福を心からお祈りしました。
『父親達の星条旗』、早速ご覧になったのですね。そして『硫黄島からの手紙』を世界中の人々に知って欲しいと、イーストウッドが言っているのですか・・・
『純情きらり』の中でも、何度か硫黄島に触れましたが、栗林中将が硫黄島から家族に出した44通の手紙は、特別に素晴らしいことが書かれているわけではなく、夫婦が普通に交わす会話であり、遠く離れて暮らす家族を慮る手紙でした。Fusakoさんのおっしゃるとおり、栗林中将はアメリカに留学したこともあって、アメリカのことは知り尽くしていました。対米戦争に反対だった彼をわざと死地に送り込んだとも言われています。ときの首相だった東條英機は、彼を呼んで「アッツ島のようにやってくれ」と言ったそうです。
愚劣な大本営に対して、2万1000人の将兵はいかにして死んでいったか、私たち日本人は、特に知る必要があると思います。そして1961年生まれの女性が!それを成し遂げたことに、心から敬意を表します。
Fusakoさんの熱いお気持ち、ありがたく頂戴いたします。
記事を褒めてくださり、ありがとうございました。
何というか、とても往生したんですよ。うまく表現できなくて・・・。映画のことも硫黄島のことも、まだまだ書き足らない点があるのですが、考えすぎずに少しずつ触れていこうと思っています。