中央線から橙色が消える日・・・

2006-11-04 23:58:07 | 鉄道紀行&乗り物


聖橋から見た立体交差
(手前から丸の内線・中央線・総武線)

 中央線が御茶ノ水駅のホームに入ると、身を乗り出して、神田川にかかる地下鉄の架橋を見つめたものだった。運が良いと、上りと下りの両方で、トンネルから出てきて短い橋を渡って再びトンネル内へ消えていく電車を見ることができた。特に鉄道好きな子供ではなかったが、地下鉄が姿を見せてくれると、さすがに胸が高鳴った。
 緑色の山手線や水色の京浜東北線が銀色のステンレス車両に変わり、やがて黄色い総武線も、赤い地下鉄丸の内線も銀色に変わっていったが(黄色い車両はたまに南武線で見かける)、中央線だけは201系と呼ばれる鋼鉄製の車両が走り続けた。本当なら、中央線に限って橙色の鋼鉄車両を走らせていることを不思議に思うべきだったのだが、それを当たり前に受け入れていた。中央線だけは未来永劫変わらないと勝手に思い込んでいたというか、中央線から橙色の車両が消えるなんてことは一度も考えたことがなかったし、そもそも橙色の中央線に人一倍愛着を覚えていたわけでもない。
 ところが、来月12月からステンレス製の最新型車両が中央線に導入されるというニュースを聞いて、寝耳に水のにわとりトシ子は大いに慌てた。
冒頭の写真には、中央線と総武線が写っているが、鮮やかな橙色の中央線が数年後には全て姿を消してしまうとなると、一大事だ。他の路線ではそれほど抵抗感を感じなかったのに、どうして中央線になると受け入れられないのか、自分でもよくわからないが、橙色が消えることは、中央線の象徴がなくなることであり、また一つ「昭和」が失われることだと思う。

 今年になって立て続けに、中央線沿線からも「昭和」が消えている。
 まずは吉祥寺公園口の名物だった焼き鳥屋の〈いせや〉。東京タワーが建てられた昭和33年に今の店内になったが、老朽化が進み、ついに解体建て直されることになった。9月25日の最終日には多くの人が行列を作ったらしい。リニューアルされるのは一年後とのことだ。続いて、10月10日から国立駅の駅舎の解体工事が始まった。また、東京女子大の敷地内にアントニン・レーモンドが設計した9棟のモダンな建物のうち、文化財の指定を受けなかった東寮(部室として使用してきた)と、旧体育館の解体が決定している。複々線化も含めて、中央線沿線は今後、大きく変わっていくのだろうか?

 今日はお昼近くになって、虫が騒ぎ出したニワトリは、中央線に乗って青梅に向かい、山本高樹さんのヂオラマが展示されている【昭和幻燈館】と、【赤塚不二夫会館】に【昭和レトロ商品博物館】を回ってきました。国立駅に戻ってきたときはもう暗くなっていたのですが、大学通りは〈一ツ橋際〉と〈市民祭〉で、人人人・・・。

紅葉は全然ですが、橙色はやはり絵になります。


青梅駅構内と引込線に201系が集まって井戸端会議中・・・


キネマの街にようこそ!
(久保板観の映画看板)


林檎飴と一輪挿し

 林檎飴は普通の林檎より小ぶりな姫林檎を選びましたが、途中で飽きずに最後までおいしく食べられたのでGoo! さて、ここで問題です。手の平大の一輪挿しは、友人が伊万里に行ったお土産に買ってきてくれたものです。西暦2000年の5月に発掘されたのですが、この陶磁器がいったい何だったのかを当てて下さい。ヒントは、ある用途のために相当数生産されました。歴史を物語る貴重な資料であり、そういう事実があったという証拠品でもあります。答えは、次の記事で・・・


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3 コメント

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中央線! (びわちゃ)
2006-11-05 15:11:15
オレンジ色の中央線、なくなっちゃうのですね。
私が東京にいた頃は、緑色、水色、黄色の電車も健在でした。
近くに住んでいたくせに青梅線沿線を散策したのは数える程です。
今思うと、惜しいことをしました。
地図を見ると市町村合併による見知らぬ地名が増えています
私の出身地、九州でもそうですが、
この市町村合併による名前の変化は残念でなりません。

ところで来週、帰省を予定していますが
今回、有田や伊万里への寄り道を考えていました。(余裕があれば平戸や佐世保にも)
ただ他のルートにも未練があって悩んでいましたが
トシ子さんの記事を読んで決心しました!
伊万里へ行くことにします。
一輪挿しは一輪挿しの用途以外思いつかないなぁ……。
答えを楽しみにしていますね。
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懐かしいですね~ (Toshi)
2006-11-06 00:46:40
びわちゃさん、こんばんは。
オレンジ色の車両がなくなることで、初めて考えるようになったのですが、山手線の黄緑、京浜東北線の水色、総武線の黄色を懐かしく思い出します。こうなったら、へなちょこ戦車模型はやめて、鉄道模型に走るかと考える今日この頃です。
(レールを敷く余地がないのに)

私も青梅線沿線散策は十数年ぶりです。オートバイも車も持たなくなって、電車やバスに乗る機会が増えました。昔あった建物が消えていくのも由々しき問題ですが、せめて「名前」だけでも残しておいて欲しい。読み方が難しいとか、ごちゃごちゃしてるとかで、素晴らしい町名が無残にも消えてなくなってしまいました。これはジェノサイドといってもいい愚行です。びわちゃさん、よくぞ、指摘してくれました。

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お気をつけて・・・ (Toshi)
2006-11-06 00:51:26
あれあれ、何で投稿されちゃったのでしょう。
今週末の帰省、どうぞお気をつけてお帰りください。有田・伊万里、私も行ってみたいなあ~
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