原子爆弾投下前と投下後の広島市内の模型(資料館にて)。爆弾は珍しいT字型をした相生橋を狙って投下された。実際に爆発したのは下写真左隅の赤い棒の上空約580m。
濃縮ウラン型原子爆弾「リトルボーイ」(長崎に投下された原爆は、広島型の1.5倍のエネルギーをもつプルトニウム型「ファットマン」)は、戦争を終結するために使用されたのではなく、核兵器の威力を正確に測定するためと、核兵器を使用した場合、どの程度の期間が過ぎれば(残留放射能で)被爆せずに現地へ部隊を送れるかを調べるための実験だった。原爆投下予定地(最終的に広島・小倉・長崎が選ばれた)の空襲は禁止され(3月9日の東京大空襲以後、無差別爆撃は日本全土に広がる)、8月のXデーまでに数十回にも及ぶ模擬爆弾投下訓練が実施されていた(この爆撃訓練で千人を超える人が死傷しました)
原爆ドームや平和記念公園には外国人の観光客がたくさんいた。彼らはどんな気持ちで、ここを訪れたのだろう? 訪れてどう思ったのだろう?
ボランティアガイド(英語も話す)の方が、お隣「西蓮寺」の駐車場脇に祀られている「被爆地蔵」(写真左)と、爆心地の島医院(右)に案内してくれました。
「被爆地蔵」の台座には同寺の屋根瓦の破片が貼り付けられていました。台座には、お地蔵様の被爆直後の写真も添えられていました(寺は跡形もなく、倒壊しなかった墓石の片隅にお地蔵さまが鎮座していた)。
爆心地(正確には上空580mの地点)にも当時の写真が添えられた碑が建てられていました。
西蓮寺の墓石に残る「黒い雨」の跡。のちに「原爆の子」像のモデルになる佐々木禎子さん(当時2才)も、爆心地から1.7km離れた自宅で残留放射能を多量に含んだ「黒い雨」を浴びてしまう・・・。
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