超特急旅行 ~原爆ドームへ

2008-12-19 08:15:37 | 鉄道紀行&乗り物


 広電に乗って、宮島から市内へ戻ってきました。原爆ドーム前で下車し、平和記念碑(原爆ドームは通称で、かつての広島市産業奨励館)を訪ねました。
 平和記念碑は、広島市に投下された世界初の原子爆弾の惨禍を今に伝える記念碑として、アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所などと共に、もう二度と同じような悲劇が起こらないようにと、反省と祈りをこめてユネスコの世界遺産(負の世界遺産と呼ばれている)に登録されました。
 紅葉が進んだ木立と緑の芝の上に静かに佇むドームは、まるて古代遺跡のように美しいのですが、飴のように折れ曲がった鉄骨が、この建物が風雪にさらされ長い年月を経てこのような姿になったのではないことを如実に物語っています。
 核兵器の恐ろしさは、破壊力の強さや殺し方の残虐さだけはなく、被爆による健康被害が戦後63年たった今でも世代を超えて続いていることや、それまで健康だった人が放射線や残留放射能を浴びたことが原因としか思えない疾病に突然見舞われるなどの問題があり(使用後に多くの犠牲者が出るという点では対人地雷やクラスター爆弾も同じですね)、限界を超えた体験をしたことによるストレスが今になって表面に現れる(戦場で過酷な体験をした人や、強制収容所や東京大空襲などを生き延びた人にも同じ症状が現れている)など、目には見えない部分にあることを忘れてはならないと思います。


こうして見ると古代ローマの遺跡のようだが、一瞬のうちに数千度の熱線と強烈な爆風に襲われた。


 原子爆弾はドームの斜め上空500~600mの地点で爆発した。銅板でできていたドームの丸天井が溶解したため、ほぼ真上から襲ってきた衝撃波が下の空間に逃げてくれたのと(重い屋根がある部分は押し潰される形で倒壊した。爆心地に近いお墓なども、上から地面に押しつけられる形になったので倒壊していないものが多い)、ご覧のとおり窓による開放部が広く取られており、そこから風圧が逃げてくれたおかげで、この部分だけが倒壊を免れた。


反対側から見たドーム。右手前の石柱は噴水の跡。


     

(左)一枚岩から切り出した部分が残った噴水。表面は溶けてささらのようになっている。
(右)内部の床は瓦礫の山。壁は熱線とその後の火災により黒く煤けている。建物は、原子爆弾が炸裂してから0.2秒後に数千度の熱線に包まれ、0.8秒後に爆風で吹き飛ばされた。建物内部にいた職員(勤務名簿から割り出した数字で、実際はもっと多かったと言われている)30名は、文字どおり消滅した。

 この文章は、ドームの前でボランティアガイドをしていた被爆二世の方のお話を元に書いています。昨日はグループホームの「慰労会」で午前様になり、この記事は20日の朝に書きましたが、日付は昨日にしました。残り11日間、大変忙しいのですが、後づけでも毎日更新させるつもり・・・(単なる自己満足だけど)。


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