あぜ道日記

田舎暮らしの中で、自然や季節の花々、時々お出かけを、写真で綴ります。

明治以降の佐渡金山

2011年11月07日 | 旅行記

明治時代になって、金山は官営化された後、三菱に払い下げられました。
欧米からもたらされた技術によって生産量は大幅に増加し、日本を代表する近代的な鉱山に生まれ変わりました。
その産業遺産の一部を見ることができました。

これは日本初の西洋式垂直坑道の大立堅坑(おおだてたてこう)です。
三菱のマークが掲げられています。
標高179mに位置し、深さは300m以上もあるそうです。
平成元年の閉山まで112年間使用されたそうですからすごいですね。

11071

 

 

明治時代第二次近代化の主要工事で選鉱・製錬施設が建設されました。
当時最先端の西洋技術が導入され、昭和13年から国を挙げての金の大増産が始まると、北沢地区には
月間7万トンの鉱石処理が可能な「東洋一の浮遊選鉱場」が建設されました。
この全景を目にしたとき、去年見た軍艦島を思い出しました。
今の日本の繁栄の基礎となった明治から昭和の産業遺産は、なぜか心を打たれるものがあります。
今回の佐渡旅行はこれを見ることができて、来てよかった~と思える旅になりました。

 

 

北沢浮遊選鉱場をパノラマで撮影。

11072

 

 

50mシックナーです。
シックナーって泥鉱濃縮装置で、泥状の金銀を含んだ鉱石を、この装置で水分を分離していたそうです。

11073

 

 

シックナーで分離した鉱石がこちら側へ送られてきて選鉱されていました。

11074

 

 

11075

 

 

その横には火力発電所があります。
今は何かの事務所として現役で使用されています。

11076

 

まだ他にも施設はいろいろあるようですが、全部見られなかったのが残念でした。
佐渡の金銀山は2010年11月に「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」として、世界遺産暫定一覧表に登録されました。
世界遺産に登録されるにはこれから手続きや調査があるようですが、ぜひ登録されてほしいです。

 

 

訪問ありがとうございます。
ブログ村ランキングに参加しています。

↓下のバナーをポチッとお願いします。

にほんブログ村 写真ブログ 日常写真へ←クリックしてね

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする