2週間ほど前に1泊2日で佐渡を旅行してきました。
今回の旅は2日目がお天気に恵まれず、帰りの新潟までのジェットフォイルを予定より早い便に変更したため、
予定の見学場所を全部回ることができず、ちょっと残念な旅でした。
しかしながら初めての佐渡は、島独特の風土や文化があり、印象深かったことを綴って行きたいと思います。
今日は江戸時代の佐渡金山についてです。
1601年に3人の山師によって発見された佐渡金山は、平成元年に操業停止するまで400年近く
金銀を産出していたということです。
これは採掘した後の山です。
見学したのは宗太夫坑という坑道で、江戸時代の手作業での採掘などの坑内労働を再現しています。
坑道はこんな風になっていますが、見学しやすいように階段と手すりがつけられています。
坑内での労働は、鉱石を掘るだけでなく、足場を組んだり、湧き出る地下水をくみ上げたりと、さまざまな作業があり、
その様子が再現されていました。
山の周りにはこんな風にして坑道の入り口が残っています。
この一連の作業は幕府の管理のもとで行われ、徳川幕府の財政を支えてきました。
幕府の方針で最先端の採掘技術が開発されて、世界的にも有数の産出量を誇ったそうです。
幕府が佐渡金銀山を管理する奉行所が復元されていました。
奉行所の横には勝場(せりば)という金や銀を精製する施設がありました。
精製方法の説明を聞きましたが、それはそれはち密で長い工程を経て純度の高い金銀が作られていたそうです。
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