青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

ステーキの “スエヒロ” はどこに?

2024-03-28 | 昭和・思い出は色褪せない

僕が子供の頃、昭和30年代から40年代にかけて、まだ「ファミリーレストラン」「ファミレス」という言葉も無い頃、「ステーキ」とか「レストラン」という高級感漂う言葉だけはマンガの中で知ったものです。そして、「それはどこなの?」と言えば、大阪は北摂では「スエヒロ」でした。

この小さな資料的価値のある(笑)写真は、1990年に撮影した千里中央の昔の「よみうり文化センター」1階部分にあったスエヒロです。この看板は赤に白字ですが、僕の子供の頃の記憶では黒に黄色文字です。もう30年前の写真になるんですね。

80年代以降は手軽な値段でステーキが食べられるお店で、1990年当時、上の写真の千里中央店ではヒレステーキが2,200円。平日ランチタイムにはステーキランチが1,000円で提供されていました。

ただ、僕の子供時代の記憶では「親に連れて行って」と頼むのもはばかれる高級店で、1度も連れて行ってもらった事はありません。阪急蛍池駅と豊中駅の間の176号線沿い、現在のマクドナルドの辺りや、兵庫県になりますが空港線から園田駅に向かう途中にもありました。看板は黒地に黄色の文字でした。

調べてみると1920年3月10日に大阪・堂島で「ビフテキ専門スエヒロ」は開業。運営会社を「株式会社スエヒロ朝日」とし、以後「スエヒロ」は全国へ広がりました。スエヒロは「ビフテキ専門スエヒロ」から全国へ暖簾分けされ、運営者により店の雰囲気やシステム、価格などは様々ですが、創業者の意思を引継ぎソースなどの伝統を継承している・・と言う事です。それで看板も違うのでしょう。ただ文字の書体は、写真の太い文字と同じだと記憶しています。

こちらは現在も営業している大阪・梅田の「新梅田食堂街」にあるスエヒロです。この写真の右上に小さく写っている看板こそが、僕の子供時代の記憶に残るスエヒロの看板です。黒地に黄色の文字!

この看板を掲げたスエヒロはもう無いのかな?スエヒロも随分あちこちから姿を消しつつあります。料理店には流行やすたれもありますが、長く続くお店であって欲しいと思います。