しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 Ⅰ列王記18章 <手ほどの雲>

2020-07-28 | Ⅰ列王記

「七回目に若い者は、『ご覧ください。人の手のひらほどの小さな濃い雲が海から上っています』と言った。エリヤは言った。『上って行って、アハブに言いなさい。『大雨に閉じ込められないうちに、車を整えて下って行きなさい。』」(Ⅰ列王記18:44新改訳)

神の大いなるみわざが現れるため、犠牲がささげられ、火が降り、バアルの預言者が始末された。しかし最後に残っていることがあった。執拗な祈祷、神への懇願がそれである。▼主は三三年におよぶ人としての全き生涯を父にささげ、最後にゲッセマネで大地に伏して涙の祈りをされた。その答えこそペンテコステの聖霊傾注だったといえよう。▼ふしぎだが、決して疑い得ない霊界の事実は、神のご経綸が「人の祈りに対する神の答え」として進められる、ということである。この二千年、地上の聖徒たちの「御国を来たらせたまえ」という懇願が積み上げられ、今も続いている。そして大祭司イエスの御父に対する懇願、地上で聖徒たちに内住される御霊のうめきの懇願も止むことなく継続している。その答えが御国の到来である。◆エリヤの熱祷は答えられ、三年半ぶりに大雨がイスラエルに降って、人も動植物も死滅をまぬがれることができた。問題は王アハブである。このすべてを目撃したアハブは、イスラエルの神こそほんとうの神、バアルなどの偶像神は何の価値もないことがわかったはずだった。そこで一大決心をして国を唯一神礼拝へ切り替え、全国から偶像を始末し、大宗教改革を実行すべきであった。どうしても邪魔をするなら、妻イゼベルを殺してでもそうすべきであったのに、アハブはその心を変えなかった。その性格は優柔不断、傲慢で自己中心、一見お人よしに見えるが神への不敬虔と頑なさに満ちていた。そのため、彼は22章で惨めな死を迎えることになる。私たちにも求められるのは、こと信仰に関する限り、果敢な決断と行動力が必要であり、それが自分も周りをも(アハブの場合はイスラエル全体)救うことになる、ということである。