しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 Ⅰ列王記19章 <逃避行>

2020-07-29 | Ⅰ列王記

「エリヤは答えた。『私は万軍の神、主に熱心に仕えました。しかし、イスラエルの子らはあなたとの契約を捨て、あなたの祭壇を壊し、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうと狙っています。』」(Ⅰ列王記19:14新改訳)

このとき、エリヤの心は孤独感に満ちていた。イスラエルはすべて偶像礼拝者になり、私は神のために孤軍奮闘したがいのちをねらわれ、状況は絶望しかありません、と神に訴えたのだ。しかし、神の答えは意外なものであった。「あなたはひとりぼっちではない。わたしへの信仰をしっかり守っている者が、まだ七千人もいる。信仰に立って次の行動に移るのだ」と。▼たしかにエリヤは神のために必死の戦いをして勝ち、偶像の勢力を一掃したのだが、それは神の力とご計画によったのであり、彼自身の持つ力ではなかった。「私は熱心にこれだけの仕事をあなたのためにしたのです」と言いたい気持ちはわかるが、信仰者はいっさいの栄光を神に帰すべきであり、使命が終われば静かに「退場する」ことを喜ぶのだ。◆人は若さや力に満ちて働く「さかんな時」がある。大勢の人々がほめそやし、成果や功績をたたえ、どこにいっても称賛の言葉に囲まれるのである。決して悪い気はしないであろう。しかし花がさかりを過ぎ、しぼんでいくように人生は過ぎ行き、やがて忘れられ、声もかけられなく、世の片隅に追いやられて行く。用いられた人であればあるほど、その寂寥感は大きいものであろう。人はそうなったとき、過去の働きの大きさ、与えた影響、与えられた賞状や感謝の記録を数え、自己を慰めるのではあるまいか。◆エリヤの半生はまことに奇蹟に満ちた華々しいものであった。彼がホレブの洞窟で見た激しい大風、地震、燃ゆる火、砕け散る岩々は彼が振り返った自分の半生、神が共におられて成したわざの数々、挙げた成果の一覧ではなかったろうか。しかし「その中に主はおられなかった」事実を彼は見たのである。エリヤは自分の働きと過去の記録を振り返ってはならなかった。「私は主に熱心に仕えました」と言ってはならなかった。なぜなら、そこに主の臨在はなかったからである。主のために働いたエリヤなどはなく、彼を用いた神、主だけがすべてのすべてとして立っておられたのだ。その自覚に立たせていただくとき、信仰者ははじめて満ち足りた喜びを持つことがゆるされるのである。