しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <主は嵐の中から>

2021-05-17 | ヨブ記

「主は嵐の中からヨブに答えられた。さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。」(ヨブ記40:6,7新改訳)

主なる神は、その栄光に満ちた姿をもってヨブに現れ、語られた。これとおなじ聖句が三八章にもある。ヨブはありのままの神に対面したとき、それまでの自信と頑固さが吹き飛んでしまい、自分がいかに無知蒙昧(むちもうまい)な発言をくり返していたかを痛切に知らされたのであった。「ああ、私は取るに足りない者です。あなたに何と口答えできるでしょう。私はただ手を口に当てるばかりです。一度、私は語りました。もう答えません。二度、語りました。もう繰り返しません。」(ヨブ記40:4,5同)▼人は神の本当の有様を知らないから、傲然(ごうぜん)たる態度をとり、口から無礼な言葉を吐けるが、いざその御前に立たされた時、恐怖に震えざるを得ない。かつて数百万のイスラエル人は、シナイ山で神の顕現に接したとき、恐ろしさのあまり震え上がった(出エジプト記一九、二〇章)。モーセでさえ「私は怖くて震える」と言ったのである。キリストの御血潮におおわれていなければ、主が地上再臨されたとき、あらゆる人はヨブやモーセのように、ストレートに神の前に立つ。しかも燃える怒りの目、灼熱(しゃくねつ)の太陽にもまさる御顔の光を浴びつつ、である。▼パウロが「見よ、今は恵みの時、今は救いの日です」(Ⅱコリント6:2同)と強調するのはゆえなくしてではない。まもなくキリスト再臨により、恵みの時が終わり、「世界の審判の時」が始まるからである。