しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <だれが野ろばを>

2021-05-13 | ヨブ記

「だれが野ろばを解き放ったのか。だれが野生のろばの綱をほどいたのか。わたしが、荒れた地をその家とし、不毛の地をその住みかとしたのだ。」(ヨブ記39:5,6新改訳)

神の矢継ぎ早の挑戦にヨブは茫然自失の体だったが、息もつかせず神は畳みかける。▼お前は羊七千、ラクダ三千、牛五百くびきに雌ろば五百を持っていたが、野やぎや雌鹿を自由にできたか。野ろばや野牛、だちょうや馬、天空高く舞う鷹を意のままに扱い、支配することができたのか。人間の言うことなど受けつけず、自然界を自由に疾走し、飛翔する生き物すらお前はどうにもできない。▼わたしと対等だというなら、野生のろばに綱をつけ、家で飼ってみよ、どう猛な野牛に手綱をつけ、畑で耕すことができるかやってみよ、ダチョウと並んで走れるか、野生の馬と真向から戦えるか、鷹のごとく天を飛び、近寄れないほど峩々(がが)たる岩場に住めるか。ヨブよ、お前はわたしの造ったこれらの生き物にさえ対抗できない。それでもわたしに挑戦しようとするのか。◆私は毎朝早く、近くの広い河原を散歩しているが、様々な野鳥が飛んでいる。とくにみごとな鳥は、鳶やタカであろう。羽をほとんど動かさず、気流をとらえて旋回する様子は一種の風格すら感じさせる。見えない気流は複雑な動きをするのであろう、そのたびに左右の羽の角度を微妙に変え、進行方向と上下の姿勢を変化させて安定を保っている。その上、翼の先端は羽根が割れていて、たぶん渦の発生を打ち消しているのではないだろうか。飛行機のように固い固定翼の構造をしていないから、微妙で絶え間ない気流の変化をしなやかにとらえ、逆らわずに、しかし浮力のエネルギーだけは確実に取り入れている。上昇も下降も自由自在、まったく無理がない。空気の一部になり、大気に溶け込んでいる感じで何ともいえない。◆たしかに人の作った飛行機も同じように飛び、昇り、下り、旋回できる。だが、すばやさ、しなやかさ、微妙な空間移動においては、とても足もとに及ばない。しかも鳥たちはみごとな飛行をしつつ、地上にいる小さな動物を確実に目で捕らえているのだから奇蹟に近い。次の瞬間、つばさをすぼませ、浮力を最小限に絞って急降下し、地上にぶつかる直前に羽を全開して速度を落とし、獲物の動きに合わせて足と爪を伸ばし、捕まえる。複雑な運動をあっという間にやってのける。大学に行って流体力学を勉強したわけでもなく、航空学校で飛行訓練を受けたわけでもない。生まれて間もなく、ひとりでそれをこなすようになるのだ。◆私たちは神をほめたたえるべきである。小さな鳥にさえ、人がおよばない能力を与えられたお方をあがめるべきではないだろうか。