しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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聖日の朝に <かめの粉は尽きず>

2019-10-13 | みことば静想

ゼラニウム赤「エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった。」(Ⅰ列王記17:16新改訳)

イスラエルに大ききんが起こったとき、エリヤは神の命令により、北方の隣国シドンのツァレファテに行った。すると町の門で薪を拾い集めているひとりのやもめに会ったので、エリヤは声をかけた。「水差しにほんの少しの水を持って来て、私に飲ませてください。・・一口のパンも持って来てください。」▼すると彼女は、「今の私には一握りの粉と、ほんの少しの油があるだけです。二、三本の薪を拾い、最後のパンを作って息子と食べ、死のうとしているところです」と答えた。まことに悲惨な状況である。収入もなく、助けてくれる人もなかったのであろう。親子は餓死寸前のところまで追い込まれていたのであった。▼しかし神の人・エリヤの答えが、すごい。「恐れてはいけない。まず私のために、その粉と油で小さなパン菓子を作って持って来なさい。その後残った粉と油で、あなたたち二人のパン菓子を作るのだ。」▼もし私がこのやもめだったら、怒ったであろう。「なんて無慈悲なことを言うのですか。ひとにぎりの粉であなたの分を作ったら、私たち親子の分は小さな団子二個にもなりません。それが預言者のことばでしょうか」と。◆しかし彼女はそう言わなかったのだ。「彼女は行って、エリヤのことばのとおりにした」(Ⅰ列王記17:15同)と記されている。エリヤを迎えた最初の食事、それはごく小さなパン1ずつ個だったのではないだろうか。イスラエル人ではなく、一異邦人にすぎないやもめ、その彼女がどうしてこのように敬虔であつい信仰を抱いていたのであろうか。すべては神秘につつまれている。しかしこれだけはあきらかだ。天の父は、この人の心に存在した信仰に目をとめておられた、ということである。当時、中東一帯に臨んだ3年以上もの大飢饉のため、多くの人々が飢えで死んでいった。まちがいなくイスラエルにいた沢山のやもめたちも犠牲になったにちがいない。しかし神は、異邦人であるたった一人のやもめを救うため、預言者をそこに派遣されたのである。◆神は全世界のあらゆる人間をひとりひとり見渡し、その心にあるものをお調べになっている。ひとりも漏れる人はいない。そしてご自身にどこまでも信頼する者を喜び、その人をとおしてご自身の御力を栄光として輝かせるお方なのだ。すなわち、当時のイスラエルには、この婦人のような信仰を抱いている人は皆無だった、ということになる。◆最後に、主のおことばに耳を傾けよう。「エリヤの時代に、イスラエルに多くのやもめがいました。三年六ヶ月の間、天が閉じられ、大飢饉が全地に起こったとき、そのやもめたちのだれのところにもエリヤは遣わされず、シドンのツァレファテにいた、一人のやもめの女だけに遣わされました。」(ルカ4:25,26同)