しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 Ⅰ列王記20章 <一時的な勝利>

2020-07-30 | Ⅰ列王記

「ちょうどそのころ、一人の預言者がイスラエルの王アハブに近づいて言った。『主はこう言われる。「あなたは、この大いなる軍勢を見たか。見よ、わたしは今日、これをあなたの手に引き渡す。こうしてあなたは、わたしこそ主であることを知る。」』」(Ⅰ列王記20:13新改訳) 

アハブは預言者の言う通り、この戦いに奇蹟的勝利をおさめたのだが、主によってそうなったことを信じなかった。なぜなら、神を心からおそれる敬虔などひとかけらも持ち合わせていなかったからだ。「アハブのように、自らを裏切って主の目に悪であることを行った者は、だれもいなかった。彼の妻イゼベルが彼をそそのかしたのである」(Ⅰ列王記21:25同)とあるように、彼は優柔不断で、悪妻の言うままに行動し、最後はみじめな戦死をとげた。二〇年以上に及ぶ彼の時代、北王国にはバアルやアシェラ礼拝が横行し、道徳は地に落ち、エリヤのいのちをかけた戦いでも根絶できなかった。イゼベルが偶像礼拝に狂っていたからで、それを止めなかったアハブの責任は大きい。◆そもそも彼には、神に従うチャンスが何回も与えられた。ここもそうで、預言者により語られたことばにどこまでも従っていれば、彼の王朝は安泰だったのに、敵王の助命嘆願を受け入れ、結果として祝福を失ったのである。かつて預言者サムエルは、神に不徹底な従いしかしない初代王サウルに、「見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。従わないことは占いの罪、高慢は偶像礼拝の悪。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた」(Ⅰサムエル15:22,23同)と宣告した。これとまったくおなじことが、140年ほど経たアハブにも起きていることがわかる。◆神への完全な従順は、人となったイエス・キリストによって世にもたらされた。主は文字通り従順のこひつじとなって父に従い、十字架にあげられ、全世界のあがないをなしとげられたのである。今や従順という御子の御本質は、聖霊により、キリスト者ひとりひとりの人格のうちにもたらされている。この喜びの油によって、私たちは毎日、賛美と喜悦のうちに主に従って行くことができるのだ。なんとすばらしい天の生涯であろう。