しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <ふたりは一体となる>

2022-02-04 | エペソ

「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」(エペソ5:31新改訳)

パウロは夫婦のあり方についてこのように述べ、続いて「この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです」(32)と言う。つまり、人間の創造から始まる世界歴史が目指すところは、「キリストと教会の結婚にある」というのである。さらにこれを敷衍(ふえん)すれば、天地創造のはるか以前、永遠の神が意図されたのは愛するひとり子のため、最大最高の美しさを持った妻を造り出すことであった、ということになるであろう。しかも神は、その妻を御使いやほかの被造物からでなく、罪を犯し、反逆のかぎりをつくしている「地を這うウジ虫」にひとしい人間から創造しようとされた。ここがまさに奥義としかいいようがない神の栄光の輝く場所である。▼すぐれに優れた美の極みである御使いから新婦を選ぶなら、話しはわかる。しかしそれでは神の無限の御知恵と愛、恵みの測り知れぬ偉大さは現れない。そこで、絶対にありえない方法と対象をお選びになった。じつにそれこそが、キリストと教会の結婚にほかならないのであった。もう一つの神秘は、人が地上のからだを持っていることの奥深さである。罪を犯し、神の祝福を失った人のからだ、キリストは天より下り、からだを所有されることにより、私たちの罪を飲み、のろわれた存在になられた。すなわち神の比類なき愛が現わされたのである。キリストと教会の結婚、そこには人間のからだが深くかかわっている。御使いではあり得ないことが起きたのである。神の御計画の深遠さに、思わず胸がふるえる。