しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 Ⅱヨハネ <本当の愛>

2020-03-20 | 第二ヨハネ

水仙

「長老から、選ばれた婦人とその子どもたちへ。私はあなたがたを本当に愛しています。私だけでなく、真理を知っている人々はみな、愛しています。」(Ⅱヨハネ1)

使徒ヨハネが「私はあなたがたを本当に愛しています」と言うとき、それはただの挨拶や美辞麗句ではない。彼は三年半イエス・キリストと共に歩み、神の愛を現実に見たのである。そして御子が、「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい」(ヨハネ15:9同)と言われるのを、自分の耳で直接聞いたのであった。▼ヨハネにとり、愛とはナザレのイエスから流れ出したいのち、人を活かしてやまない天的生命そのものであった。主の公生涯で数えきれない人々がそれに触れ、生き返り、立ち上がり、死から生に移されて行くのを、その場でヨハネは見た。そして今、私もその愛で本当にあなたがたを愛しています、と言う。やがてキリストが再臨したもうとき、私たちのからだを含む全存在を栄光の姿に変貌させるのは、彼の愛がそうするのである。◆愛の使徒ヨハネはしかし、本書できびしい警告も発する。すなわち、キリストが人となって(すなわち肉のうちに)来られたことを告白しない人々は反キリストに支配されている、だからそういう人はキリスト者だと言っても、家に入れてはいけない、挨拶の言葉をかけてもいけない、と。◆イエス・キリストは「復活のからだ」をもってオリーブ山から栄光のうちに昇天して行かれた。そしてまた「復活のからだ」をもって栄光のうちに再臨したもう。だからこそ、そのとき私たちは自分のからだまで復活、栄化し携挙にあずかるのだ。この希望をもって地上を生きる信仰者が「きよい生活を送る」ことを熱心に追求するのは当然であろう。「からだとその行いはどうでもよい、墓に入り朽ち果ててなくなるのだから」と考えるのは大きなまちがいである。再臨の希望を持っているキリスト者は「キリストがきよい方であるように、自分をきよくします」(Ⅰヨハネ3:3同)とあるごとく、御霊に導かれつつ生きるのである。