
忘れ物があったら、こういう遺失物取扱所に来れば見つかるかもな。

角砂糖ひとつでも?

角砂糖ひとつじゃあ、忘れ物にはならないだろう。

ところが、忘れ物だと思った男の子がいるのよ。

「借りぐらしのアリエッティ」に出てくる病弱な男の子だな。

そう、こんどのジブリ映画は、古い屋敷にやってきた男の子と、その家の床下に住む背丈10センチほどの小人の女の子の物語。

女の子が父親と一緒に人間の台所からやっとの思いで取ってきた角砂糖を、男の子の部屋で落としてしまったことから始まる交流。

氷砂糖のように、甘くももろい。

でも、男の子は残酷だよな、「君たちは滅びゆく運命にある」なんて言って。

彼女のためにきれいなキッチンを用意してあげようなんていうのも、好意にせよ、ちょっと無神経な気がする。

この映画、構造は明らかに優越的な民族による弱小民族の迫害だもんな。

わかりやすく例えれば、白人とアメリカインディアンの関係みたいなね。いまどき陳腐な例えだけど。

住み家を追われた民族は、新たな安住の地を求めて旅立っていかざるを得ない・・・。

でも、登場人物は何人かに限られるし、それほど波乱万丈な展開もないから、ジブリの映画にしては、とっても小品を観たっていう印象を受ける。

小劇団による流浪の民の悲劇を観てるような趣がある。

映画全体によけいな贅肉は削ぎ落としたみたいで、ジブリお得意の奇妙なキャラクターの登場もないし、ファンタジックなスペクタクルにも昇華しない。

そのぶん、屋内の家具や調度品、屋外の緑のまぶしさとか、背景の美術、色彩設計には目を見張る。

映画全体も、単純明快なだけに、気品のある結晶のような輝きが感じられて、私は好きだな。

小人の女の子の性格は、健気でりりしいしな。

この性格は、明らかにジブリの系譜に属するものよね。

「風の谷のナウシカ」「魔女の宅急便」から「耳をすませば」にまで至る元気な少女たちの一群の中にすっぽりと位置づけられる。

でも、彼女たちに比べると、小品だけにちょっと活躍の場が少なかったかもしれない。

小人の少女っていう設定は、明らかにファンタジーの世界の登場人物なんだけど、描き方はリアリズムに徹している。

角砂糖を取りに行くシーンなんて、小人はどのように高い位置にある大きな物を手にすることができるかっていうドキュメンタリーを観ているみたいだったもんね。

主役に与えられたキャラクターは、「魔女の宅急便」みたいにちょっと普通の人間からずれたもの、でも彼女の生きる世界は「耳をすませば」のような日常的な世界、っていう感じかな。

ここのところ、ちょっとファンタジーに寄り過ぎていたジブリ映画が忘れていた世界に戻ってきたようで嬉しかったわ。

遺失物取扱所に行って、取り返してきたのかもな。

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