ここの高校は、自動車学科もあるんだって。
じゃあ、ここを卒業すればサイドカーとかつくれるかな。俺のバイクにもサイドカーをつけたいんだけど。
うーん、それはどうかな。
でも、「サイドカーに犬」みたいな映画を観ると、誰だってサイドカー付きのバイクを運転してみたくなっちゃうよな。
私は、バイクの運転じゃなくて、サイドカーのほうに乗ってみたくなっちゃったな。
父親とその彼女がバイクに乗り、小学四年生の娘がサイドカーに乗って夜を疾走するシーンを思い出してるんだろ?ただ走っているだけなのに、なんともいえない幸福感がじわじわと押し寄せてきて、ああ、あんな気分の夏の夜もいつかあったなあと誰もが思い起こすような名シーンだった。
別にサイドカーの思い出じゃなくても、花火大会に行ったとか、みんなで木に登ったとか、なにかいちばん幸福だった夏休みの時間を思い出させるような匂いがするのよね。
そうそう。そのときの甘酸っぱい匂いを思い出させてくれるんだよ。
母親が夜逃げした家にふらりとやってきた女性と小学四年生の少女を中心としたひと夏の物語なんだけど、映画を観終わったあとは、ひゅんと心に沁みる小説を読み終わったような気分だったわ。
途中で海が出てくるからってわけじゃないけど、たとえば吉本ばななの「海のふた」を読んでるような感じだったな。
ていうか、長嶋有の原作小説の映画化だから、小説っぽいのは当然かもしれないけど。
いやいや、質のいい小説のような端正な映画をつくれる監督は、日本ではいまや根岸吉太郎しかいないかもしれない。
「雪に願うこと」も、しんと心に沁みるいい映画だったもんね。
「雪に願うこと」て、今年の1月1日に話題にしてるんだぜ、俺たち。
それだけの価値があるってことね、根岸吉太郎監督には。
ドラマチックなできごとが起きるわけじゃなくても、人間の感情に寄り添った丁寧な絵づくりをするから、映画がこちらの気持ちの中にすっと入りこんで来る。人の息遣いを感じさせる、日本映画のいちばん上質な部分をすくいとったような、いまどき貴重な映画だ。
出演者もよかったわ。竹内結子に、古田新太。少女役の松本花奈。
竹内結子なんて、やせたのかやつれたのかしらないが、頬に影ができるようになって、ただ健康的なだけじゃなく胸の奥に何か抱えている女性を表現できるようになった。すごい進歩だ。これまででいちばん魅力的なんじゃないか。
彼女を受け止める男が古田新太というのがまたおもしろい。優柔不断な男を自然体で演じていて素晴らしかったわ。
そして、あの少女、松本花奈。乱暴なんだか優しいんだかわからないけど、とにかく今まで見たこともないような女性が家にやってきて、戸惑いながらも引かれて行く行儀のいい少女を実に愛しく演じていた。
基本的に彼女の視線で語ったのが大きな勝因ね。夏休みのできごとというカッコをつけることで、彼女にとっても観客にとっても忘れられない物語になった。
彼女の20年後を演じるのがミムラ。
竹内結子と同じくらいの年齢になった少女が出ることでいっそう物語に奥行きが出たわね。
超大作とか話題作もいいけど、ほんとはこういう映画が日本映画を支えるアベレージになってくれると心強いんだけどなあ。
そうようねえ。ストーリーのために人が動いているんじゃなくて、人の心の動きにそってストーリーが進んでいくような映画。
残念だけど、実はあんまりないんだよなあ、そういう日本映画って。
サイドカーに犬が乗ってるのと同じくらい珍しいわよね。
でも、サイドカーに犬が乗ってりゃ絶対注目するよな。それと同じくらい注目されていい映画なんだけどなあ。
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森下五丁目バス停
ふたりが乗ったのは、都バス<東20系統>
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春、雨の中、ピッチングマシーンを届けた。重かった…
正解。ここは墨○工業です。でも、どうして○にしなくちゃいけないんですか。なにか問題でも?
>ひゅんと心に沁みる小説を読み終わったような気分
っていうのもすごくよく分かりますw
ちょっと時代は違うのですが僕も自分の子供の頃を
思い出しました☆
余韻をつくっているのはやはりあの絵日記の絵でしょうか。これから観る人は、ラストまで席をたたないでほしいですよね。
この映画、母親の立場から見ると、結構切ないものがありました。
サイドカーといえば、真っ先に思い出すのはナチスだったりします。
ヘンかな?
そういえば、よく考えると、あのお母さんもある意味かわいそうでしたね。結構、奥の深い映画でした。