Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

被爆二世

2023年08月10日 | 身辺雑記
 わたしの亡父は太平洋戦争中、呉の海軍工廠で働いた。東京の羽田に生まれ育った亡父がなぜ呉の海軍工廠に行ったのかは、残念ながら聞き逃した。亡父は生前、「小学校を出て歯医者の書生になり、夜間の中学校に通ったが、続かなかった。良い働き口がなくて、仕事を転々とした。そのうち伝手があって、岡山県の総社に行った」といっていたので、総社で働いていたときに、呉の海軍工廠に職を見つけたのではないかと想像する。

 亡父は呉の海軍工廠で働くことができたために戦死せずに済み、戦後結婚してわたしが生まれたわけだが、それはさておき、亡父が生前話していたことのひとつに、「原爆のキノコ雲を見た」というのがあった。「ラジオでは新型爆弾といっていたが、工員仲間に原爆だと分かっていた者がいた」と。

 その話を思い出したのは、参議院議員の吉良よし子氏のツイッターを見たからだ。吉良氏はこう書いている。「1945年8月6日8時15分/私の祖父は、当時、江田島の海軍兵学校で、ピカの光と爆風を受け、ヒロシマ上空に広がるキノコ雲を見たそうです。/爆風で木々が次々となぎ倒される様、禍々しいキノコ雲の色はいまだに忘れられないと。(以下略)」(2023年8月6日)

 江田島は呉の沖にある。吉良氏の祖父とわたしの亡父は同世代ではないかと思うが、二人の話は符合する。亡父の話には「爆風」は出てこなかったが、呉ではどうだったのだろう。江田島では閃光が走り、大音響が鳴り、爆風が吹いたという手記が存在する。

 亡父は原爆投下後、広島市の惨状が伝わると、工員仲間と「広島に行ってみるか」と話していたそうだ。結果的には行かなかったが、もし行っていたら、亡父は被爆し、わたしは被爆二世になった可能性がある。

 被爆二世になった可能性は、もうひとつある。それは黒い雨だ。原爆投下後、広範囲に放射性物質をふくむ黒い雨が降ったことは周知の通りだ。黒い雨は住民をはじめ河川、土壌などに放射能汚染をもたらした。戦後ずっとたってから、黒い雨訴訟が提起され、原告の勝利に終わったのは2021年のことだ。現在は第2次訴訟が提起されている。

 黒い雨は1945年8月6日午前9時ころから降り始め、10時ころにもっとも広範囲に降り、午後3時ころに降り止んだと推定されている。降った地域は広島市の北西部に広がっている(局地的ではなく、ひじょうに広い地域だ)。もし風向きが違って広島市の南東部に降ったとしたら、江田島や呉にも降っただろう。その場合は吉良氏の祖父もわたしの亡父も黒い雨に当たった可能性がある。わたしは被爆二世になったかもしれない。わたしが被爆二世になるかならないかは紙一重だったようだ。
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