Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

高関健/読響

2021年12月15日 | 音楽
 指揮者が変わり、ソリストも変わって、協奏曲の曲目が変わり、その後もう一度指揮者が変わった演奏会。すべては新型コロナの対策強化のためだ。事務局は振り回されたことだろう。事務局はそれ以上に、急場を救った指揮者の高関健に感謝しているかもしれない。

 1曲目はモーツァルトの「イドメネオ」序曲。久しぶりに聴く曲だ。懐かしかった。「イドメネオ」は好きなオペラだが、実演に接する機会は多くはない。劇場側はどうしてもダ・ポンテ三部作や「魔笛」を優先して、「イドメネオ」は後回しにする。わたしが観た舞台上演は、新国立劇場と東京二期会、あとはコペンハーゲンで観たくらいだ。オペラ・セリアで堅苦しいイメージがあるかもしれないが、実際には生々しい人間のドラマだ。

 2曲目はショパンのピアノ協奏曲第1番。ピアノ独奏は小林愛実。小林人気によるのだろう、会場は満席だった。わたしは小林愛実を聴くのは二度目だ。最初は何年か前のデビューしたての頃だったので、久しぶりに聴いて、すっかり個性が現れているのに感心した。

 その個性は、軽やかでニュアンス豊かな音楽性、純でナイーヴな感性、スター然としない人間性といったところだろうか。わたしは苦手意識のあるこの曲を、なんの抵抗感もなく聴いている自分に気が付き、なぜこんなに自然に聴くことができるのだろうと自問した。そのとき突然、すでに亡くなっているが、一時代を築いた某女性ピアニストを思い出した。そのピアニストはこの曲を十八番にしていた。わたしはその演奏でこの曲を刷り込まれた。その演奏はスター然としていた。

 小林愛実はアンコールに「24の前奏曲」から17番を弾いた。その演奏も甘さ控えめだった。わたしは惹かれた。ピアノ協奏曲第1番から一貫する演奏スタイルだった。大向こうをうならせる演奏スタイルではないかもしれない。でもわたしの好みだ。

 3曲目はプロコフィエフの交響曲第5番。なんといったらよいか、わたしのイメージとは異なる演奏だった。わたしはこの曲に照度の高い色彩感を感じていたが、高関健指揮読響の演奏は、もっと地味な音色の、あえていえばソ連時代の音楽を感じさせた。それはこの曲の真実かもしれない。いままで聴いてきた演奏は、西側のショーウインドウに飾られた虚像だったかもしれない。――と、そう思うこともできる、おもしろい経験だった。

 第1楽章の結尾では打楽器が大音量で鳴らされて、うるさかった。同様に第3楽章でも銅鑼とシンバルが思い切り鳴らされた。その二か所は興ざめだった。一方、第4楽章の運動性はさすがに読響だった。
(2021.12.14.サントリーホール)
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