Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

飯守泰次郎/東京シティ・フィル

2021年12月10日 | 音楽
 飯守泰次郎指揮東京シティ・フィルのシューマンの交響曲チクルス第1回。プログラムは交響曲第1番「春」と交響曲第2番。プログラム・ノートで柴田克彦氏が触れているように、ベートーヴェン、ブルックナー、ブラームスなどの交響曲チクルスを展開してきた飯守泰次郎と東京シティ・フィルだが、シューマンの交響曲チクルスは初めてだ。意外な気がするし、新鮮でもある。

 交響曲第1番「春」はテンションの高い演奏だった。第1楽章はアンサンブルが練れていない感じがしたが、第2楽章では弦楽器の密度の濃い音が聴け、第4楽章のコーダでは圧倒的な高まりがあった。コーダの手前のフルートのソロでは、首席奏者の竹山愛がセンスのある演奏を聴かせた。さすがにソロ活動も活発な奏者だけあると思わせた。

 飯守泰次郎は、ステージの出入りが不自由そうで、ハラハラしたが、演奏中は指揮台に置かれた椅子には腰かけず、立ったままで指揮した。その姿から発散される音楽には張りがあった。けっして年寄臭くない。指揮者というのは不思議なもので、その人の内なる音楽がオーケストラに反映される。東京シティ・フィルから出てくる音楽は若々しく、なんの衰えも感じさせなかった。

 交響曲第2番は第1楽章から落ち着いたアンサンブルが聴けた。冒頭の金管のテーマではトランペットの首席奏者の松木亜希がしっとりした音色を聴かせた。第2楽章のスケルツォの最後は豪快な演奏になった。また第4楽章のコーダは交響曲第1番「春」の第4楽章のコーダと同様に、圧倒的な高まりをみせた。

 交響曲第1番「春」と交響曲第2番を続けて聴くと、両曲の音色のちがいが浮き上がった。第1番「春」では音色に鮮やかなコントラストがある。一方、交響曲第2番はくすんだ音色だ。また音楽の展開も(シューマンの語り口も、といったほうがいいかもしれないが)、交響曲第1番「春」では前のめりで、先へ先へと急ごうとするが、交響曲第2番ではじっくりかみしめながら語る。わたしは交響曲第2番を偏愛するが、今回は交響曲第1番「春」の魅力を再認識した。

 今回の演奏会では、東京シティ・フィルの飯守泰次郎への献身に心を打たれた。とくに交響曲第2番でそれを感じた。たぶん交響曲第2番のほうがリハーサルを積んでいたのではないかと想像するが(わたしの想像に過ぎないが)、飯守泰次郎のテンションは交響曲第1番「春」のほうが高かった。それをカバーするように、東京シティ・フィルは交響曲第2番では飯守泰次郎のやりたいことを先取りして、一丸となって実現する感があった。演奏会とは生身の人間のドラマだ。
(2021.12.9.東京オペラシティ)
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