Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

クレー展

2011年07月27日 | 美術
 東京国立近代美術館で開催中のパウル・クレー展。会期末が迫ってきたので、今回は無理かなと諦めかけたが、なんとか行くことができた。閉館まであと1時間を切っていて、しかも結構混んでいたので、ゆっくり見ることはできなかった。でも、さすがはクレー、一夜明けた今でも、頭のなかはクレーでいっぱいだ。

 本展の特徴は、制作過程を追う試みである点だ。プロセス1~4に分けて、さまざまな制作過程を追っている。しかもユニークなのは、その展示方法だ。各プロセスは街区を形成し、中世の旧市街のように入り組んでいる。鑑賞者はまるで狭い路地に迷い込んだような感覚になる。

 もし、もっと時間があり、すいていれば、時間をかけてこの展示方法を呑みこむ喜びを味わえただろう。残念ながらそうはいかず、駆け足になってしまった。

 それでも、手持ちの画集でいつも観ている「綱渡り師」の実物に出会え、黒く滲んだ描線の制作過程を理解することができた。クレーは、(1)まず一枚の素描を描き、(2)次に黒い油絵の具を塗った紙を裏返して、(3)それを白い紙の上に置き、(4)それら二枚の紙の上に素描を重ね、(5)素描の描線を針でなぞって一番下の紙に転写し、(6)水彩絵の具で彩色する、という制作過程をとったそうだ。

 また、思いがけず、吉田秀和さんのエッセイ「絵画・運動・時間」と「クレーの跡」で馴染んでいる「嘆き悲しんで」に出会えたことも喜びだった。吉田さんは1961年(昭和36年)のクレー展でこの作品をご覧になった。わたしは今までモノクロの写真でしか観たことがなかったが、実物を観て、モザイク状の斑点が、一定の秩序のもとで、薄い茶、青、橙に彩色されているのがわかった。落ち着いた、深みのある作品だ。

 本展は何年も前から準備されたものにちがいないが、それと関係があるのかないのか、あるいはちょうどタイミングが合ったのか、ともかく同館は昨年「山への衝動」を収蔵した。もちろん今回も展示されている。意外に大作だ。サイズは95×70。死の前年、クレーの創作力が爆発した1939年の作品だ。ナチスにたいする抵抗が、痛いほどに感じられるが、同時に自らをドン・キホーテになぞらえているとも感じられ、それがいかにもクレーらしい。

 クレーの定義は難しいが、今秋同館で個展を開催するイケムラレイコさんの言葉を見つけたので、ご紹介したい。「彼は作家としてモニュメントをつくるのではなく、眼だけを残して去っていった。クレーの眼はいろんなものを見た。いろんな時代を見た。」
(2011.7.26.東京国立近代美術館)

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