後藤健二さんがついに殺害された。あまりの痛ましさに胸がふさぐ。ご冥福を祈るほかない。
事件が起きてから、ずっと息をひそめて見守ってきた。もちろん、後藤さんとはなんの面識もなく、そればかりか、後藤さんの名前さえ知らなかったが、事件が起きてから、後藤さんの人柄を知り、仕事の方向性を知るようになって、心からの共感を覚えた。
テレビを見ないわたしではあるが、インターネットで動画を見た。最期の時の後藤さんはまっすぐ前を見ていた。しっかりしているようだった。その顔に恐怖の影は窺えなかった。憎悪の一片さえも感じられなかった。わたしだったら長期間の恐怖に憔悴しきり、人間らしい表情は失っているだろう。凄い人だと思う。
何も語ることを許されずにこの世を去った後藤さん。後藤さんの心中には何があったのだろう。わたしたちはそれを後藤さんの顔から読み取るしかない。だれもが自分の想いを投影するだろう。そんなあやふやな話でしかないが、わたしには映画「神々と男たち」(2010年フランス映画)が想い出されてならない。
1996年にアルジェリアの山村で起きた実話にもとづく映画だ。修道士8人が、同地の生活に溶け込み、貧しい人々を助けながら、布教に努めていた。しかし武装イスラム集団の脅威が迫ってきた。修道士たちは、村を去るか、踏みとどまるかを議論する。全員、踏みとどまることを選択する。数日後、武装集団に襲撃される。全員、命を落とした。
実話であるがゆえに、修道院長の遺書が残っている。映画のプログラムに掲載されていた。探してみたら、まだ持っていたので、読み返してみた。後藤さんの心中と重ね合わせて胸が詰まった。
「さよならを言わなければならない時に……」と書き出されるこの遺書、全文を紹介したいが、それはできないので、最後の部分だけ引用したい。やがて来るだろうテロリストに呼びかける部分だ。
「そして、私の最期の時の友人、その意味も知らずに私を殺す人、にもこの感謝と別れを捧げる。なぜなら、私はあなたの中にも神の顔を見るからだ。私たち二人にとっての父である神が望まれるならば、私たちはゴルゴダの丘で最後にイエスと共に十字架にかけられながら、永遠の命を約束された盗賊たちのように、また天国で会おう。アーメン、インシャラー」(曽野綾子氏の訳)
底知れない‘赦し’の気持ち――。後藤さんの最期の時も、そういう想いだったかもしれない。
事件が起きてから、ずっと息をひそめて見守ってきた。もちろん、後藤さんとはなんの面識もなく、そればかりか、後藤さんの名前さえ知らなかったが、事件が起きてから、後藤さんの人柄を知り、仕事の方向性を知るようになって、心からの共感を覚えた。
テレビを見ないわたしではあるが、インターネットで動画を見た。最期の時の後藤さんはまっすぐ前を見ていた。しっかりしているようだった。その顔に恐怖の影は窺えなかった。憎悪の一片さえも感じられなかった。わたしだったら長期間の恐怖に憔悴しきり、人間らしい表情は失っているだろう。凄い人だと思う。
何も語ることを許されずにこの世を去った後藤さん。後藤さんの心中には何があったのだろう。わたしたちはそれを後藤さんの顔から読み取るしかない。だれもが自分の想いを投影するだろう。そんなあやふやな話でしかないが、わたしには映画「神々と男たち」(2010年フランス映画)が想い出されてならない。
1996年にアルジェリアの山村で起きた実話にもとづく映画だ。修道士8人が、同地の生活に溶け込み、貧しい人々を助けながら、布教に努めていた。しかし武装イスラム集団の脅威が迫ってきた。修道士たちは、村を去るか、踏みとどまるかを議論する。全員、踏みとどまることを選択する。数日後、武装集団に襲撃される。全員、命を落とした。
実話であるがゆえに、修道院長の遺書が残っている。映画のプログラムに掲載されていた。探してみたら、まだ持っていたので、読み返してみた。後藤さんの心中と重ね合わせて胸が詰まった。
「さよならを言わなければならない時に……」と書き出されるこの遺書、全文を紹介したいが、それはできないので、最後の部分だけ引用したい。やがて来るだろうテロリストに呼びかける部分だ。
「そして、私の最期の時の友人、その意味も知らずに私を殺す人、にもこの感謝と別れを捧げる。なぜなら、私はあなたの中にも神の顔を見るからだ。私たち二人にとっての父である神が望まれるならば、私たちはゴルゴダの丘で最後にイエスと共に十字架にかけられながら、永遠の命を約束された盗賊たちのように、また天国で会おう。アーメン、インシャラー」(曽野綾子氏の訳)
底知れない‘赦し’の気持ち――。後藤さんの最期の時も、そういう想いだったかもしれない。