Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ボージチ/都響

2011年11月11日 | 音楽
 都響の11月定期はベテラン指揮者ヴォルフガング・ボージチWolfgang Bozicの指揮。ボージチは2008年のペーター・コンヴィチュニー演出の「アイーダ」で都響を指揮した。わたしもそのとき聴いて、よい指揮者だと思った。都響のほうでも手応えを感じたのだろう。今回は定期に初招聘。

 舞台に登場した姿が、なんとなく、往年の名指揮者ラファエル・クーベリックに似ていた。もっとも、クーベリックほど重々しくはない。後ろ姿から見た頭髪の具合が似ているので、そう感じたのかもしれない。

 1曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲第23番。ピアノ独奏はフレディ・ケンプ。これはピアノもオーケストラも単調だった。各楽章とも「この楽章こそは」と気合を入れて聴き始めたが、集中力がもたなかった。

 アンコールに応えて、「ベートーヴェンの悲愴の、……2号しゃん」(語尾は不明瞭)と。苦笑。もちろん2楽章のことだ。演奏はクリアーだった。

 2曲目はリヒャルト・シュトラウスの家庭交響曲。初めて定期を振らせる指揮者にこの曲をまかせるのは、都響側の信頼が篤いということだ。冒頭、父親=シュトラウス自身を表す三つテーマが、実に生き生きと、弾むようなリズムで演奏されるのを聴いて、この指揮者は根っからのオペラ指揮者だと思った。

 以下、この演奏は今まで聴いたことがないくらい賑やかな演奏だった。あるパートが旋律を奏でていると、別のパートが割って入り、次の主役を奪ってしまう、そういうことの連続だった。旋律の歌い方も、几帳面に拍を刻むのではなく、前へ前へと弾んでいく躍動感があった。

 例の第3部、シュトラウスと妻パウリーネの寝室の場面も、あんなにリアルに、オペラの一場面を観るように演奏されたことは、空前絶後だろう。パウリーネは2度もトゥッティで叫び、ことが終わったシュトラウスはコントラバスのピチカートとともに力尽きる。あの「ばらの騎士」の序奏では、若い貴族のオクタヴィアンと元帥夫人の濡れ場だったが、本作ではシュトラウスとパウリーネ。正直いってそんなもの見たくない、と文句をいいたくなる、それが狙いの音楽だ。

 都響は精一杯の演奏。普段はあまり出会わないタイプの指揮者に懸命についていったが、余裕がなかったのも事実だ。初共演なので仕方ない面もある。本日の二日目はどうなったのだろう。
(2011.11.10.サントリーホール)

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