Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

じゃじゃ馬ならし

2009年01月19日 | 音楽
 新国立劇場はもとより、大手のオペラ団体でも手が出ない珍しい作品を発掘・上演している東京オペラ・プロデュースが、ヘルマン・ゲッツという作曲家のオペラ「じゃじゃ馬ならし」を上演した。

 ヘルマン・ゲッツってだれ?というのが大方の反応ではないか。私もそうだった。で、手元の音楽辞典をひらいてみたら、たしかに載っていた。ドイツ・ロマン派の作曲家とのこと。またWikipediaもみてみたが、こちらにも載っていた。歴史の中に埋もれて、今では忘れられた存在、そういう作曲家だ。
 事前に輸入盤のCDを購入したが(1955年録音のカイルベルト指揮のもの)、開封して愕然とした。英語の対訳はおろか、ドイツ語の歌詞さえ入っていない。また解説は、作曲家の紹介だけで、あらすじが書かれていない。しかたがないので、純粋な音楽としてCDをきいてみたら、いっぺんで気に入った。生まれはワーグナーよりも後だが、その音楽はウェーバーとワーグナーを結ぶ中間にある。
 同時にシェイクスピアの原作を読んでみた。岩波文庫のものだが(大場建治訳)、驚くほどの名訳で魅了された。

 こうした準備を経て当日に臨んだ。公演は私の期待に応えてくれ、ドイツ・ロマン派の快活で素朴なオペラを楽しんだ。個別の歌手では終盤に声に疲れが出た人もいるが、アンサンブル全体としては幕を追うごとに調子を上げ、気分が浮き立った。
 発見もあった。字幕で歌詞の内容が分かったが、このオペラには男性を女性よりも優位に置く当時の思想があった。現代の視点から見ると問題なきにしもあらずだが、その根は深い。この思想はモーツァルトの「魔笛」にも見られ、「魔笛」の精神を受け継いだリヒャルト・シュトラウスの「影のない女」にも見られる。それ故、この作品は「魔笛」と「影のない女」を結ぶ中間にあるとも言える。
 東京オペラ・プロデュースは2005年7月にマルシュナーの「吸血鬼」という珍しいオペラを上演した。あの作品もウェーバーとワーグナーを結ぶ中間にあり、ワーグナーの「さまよえるオランダ人」に直接つながる興味深いものだった。今回の「じゃじゃ馬ならし」は、歴史の厚い埃の堆積から救い出したという意味で、「吸血鬼」に匹敵する成果だ。

 指揮、演出、歌手、合唱、オーケストラ、その他のスタッフについては詳述を控えるが、皆さんに拍手を送る。とくに主役のカテリーナを歌った菊地美奈さんは、じゃじゃ馬だった娘が徐々に優しい感情をもつ変化の過程をよく表現していた。菊地さんは2005年11月のストラヴィンスキーのオペラ「放蕩者のなりゆき」でも好演している。

 プログラムの冒頭に、前代表の急逝をうけて昨年代表を引き継いだ松尾史子さんの「ごあいさつ」が載っていた。「34年目を迎える東京オペラ・プロデュースの存続に心血を注いで参る所存でございます」。実際に存続のために懸命なのだろう。私は公演に足を運ぶくらいしかできないが、心から応援している。
(2009.01.17.新国立劇場中劇場)

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