Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

プロコフィエフ

2009年01月18日 | 音楽
 日本フィルがアレクサンドル・ラザレフを首席指揮者に迎えて、プロコフィエフ交響曲全曲演奏プロジェクトをスタートさせた。任期3年間の中で交響曲を1番から7番まですべて演奏するという企画。その第1回のプログラムは次のとおりだった。
(1)プロコフィエフ:交響曲第1番「古典」
(2)モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲(ヴァイオリン:漆原朝子、ヴィオラ:今井信子)
(3)プロコフィエフ:交響曲第7番「青春」

 ラザレフは世界的な巨匠だが、日本でも読響への客演で成果を重ね、その後、日本フィルとの共演を始めた。それが今回のプロコフィエフ・プロジェクトにつながる。前首席指揮者のもとで低迷気味だった日本フィルの起死回生をかけたプロジェクト、期待と少々の不安を抱いて出かけた。

 第1番が始まる。好調だ。明るく暖かい音色が出ている。リズムも柔軟だ。比較的穏健なテンポで進み、最後の第4楽章でテンポを上げた。まずは順調な滑り出し。
 プロコフィエフは、習作の交響曲は別として、第1番の番号をつけた交響曲でハイドンやモーツァルトのパロディをかいた。なんという個性だろう。並みの神経ではない。
 パロディをかくということは、その裏で自己の音楽が確立していなければできない。プロコフィエフは、前年にドストエフスキーの原作によるオペラ「賭博者」をかいて、自己の音楽を確立していた。悪魔的なパトスをもった舞台音楽‥。まだ20代なのに、なんという早熟だろう。第1番の翌々年にはオペラ「三つのオレンジへの恋」をかく。これらの3作は共通の根から生まれた。

 次のモーツァルトでは、奔放に進もうとするヴァイオリン独奏と、それを支えるヴィオラ独奏が、息の合ったところをきかせた。同じ日本人、しかも同性の強みだろう。オーケストラは芽の摘んだ下地を紡いでいたが、やや消極的だ。今の時代、おとなしいモーツァルトは物足りない。

 第7番は、死の前年につくられたこの曲の本質を明らかにする演奏だった。失意のうちに迎えた晩年、その落日に照らされた諦観が目の前に広がる。この曲は「青春」という標題で呼ばれるが、聴き手をミスリードするおそれがある。簡易で平明な曲想だが、それは人生の苦味を噛みしめた後の心境だ。
 演奏は、旋律を奏するパートだけではなく、対旋律を受け持つパートも、リズムをきざむパートも、ハーモニーをつけるパートも、すべてのパートが積極的に演奏に参加するスタイルで、その結果、総体としての活力が生まれる。これがラザレフのスタイルだ。その演奏は聴き手を活性化し、元気にしてくれる。

 ラザレフ&日本フィルは無事船出した。それをともに祝いたい。これからの3年間が実り多いものでありますように。
(2009.01.16.サントリーホール)

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