Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

山田和樹/日本フィル

2021年09月11日 | 音楽
 山田和樹指揮日本フィルの定期。プログラムはショーソン(1855‐1899)の「交響曲変ロ長調」と水野修孝(1934‐)の「交響曲第4番」。

 ショーソンの「交響曲変ロ長調」は亡きジャン・フルネの十八番だった。わたしは都響と日本フィルで聴いたことがある。どちらも淡い色彩がたゆたう名演だった。ジャン・フルネの演奏が静謐の演奏だったとすれば、山田和樹の演奏は、オーケストラをよく鳴らす、ダイナミックな演奏だった。

 水野修孝の交響曲第4番は驚きの曲と演奏だった。わたしが大学生のころ、知人が所属していた千葉大のオーケストラを何度か聴きに行ったことがあり、そのとき指揮していたのが水野修孝だ。そんな想い出がある作曲家なので、未知のこの曲を楽しみにしていた。演奏会の前々日、日本フィルのツイッターでこの曲のCDが出ていることを知った。図書館の資料を検索すると、わたしの区にはなかったが、隣の区にはあったので、借りてみた。

 正直にいって、あまりおもしろいとは思わなかった。でも、諦めるのは早いと気を取り直した。これが実演でどう聴こえるかに興味の向きを変えた。そんな状態で聴いた演奏だが、案に相違して、驚くほどおもしろかった。ライブでなければおもしろさが伝わらない曲だと思った。

 全4楽章からなるが、第1楽章は「「緩、急、緩」のアーチ構造をとる」(相場ひろ氏のプログラム・ノート)その冒頭の緩の部分が、まるで武満徹のように聴こえた。それはCDでも感じていたことだが、それを確信し、さらに武満徹へのオマージュのように聴こえることに打たれた。作曲当時、武満徹はすでに亡くなっていたが、同世代の武満徹への想いがあったのかどうか。

 第2楽章の末尾は、武満徹がいつの間にかアルバン・ベルクになるような不思議な感覚があった。武満徹とベルクは親和性が高いと思うが、それを思い出させる音だった。

 第3楽章と第4楽章こそは、CDとはまったくちがう、ライブでなければわからないおもしろさがあった。第3楽章は、途中で突然、昭和の時代の映画音楽のような、ノスタルジックな甘い音楽が展開する。それがライブでは肯定的に聴こえた。第4楽章は「ドラムが管弦楽からディスコ・ミュージックやヒップホップを引き出」すが(同上)、そのノリの良さとゴージャスなサウンドはライブの魅力だ。それらの楽章での山田和樹と日本フィルの演奏は、クリアな音で、解像度の高い、見事なものだった。会場には作曲者の水野修孝も来ていた。自身の曲のリフレッシュされた演奏に喜んだのではないかと思う。
(2021.9.10.サントリーホール)

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