Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

財務省職員の遺書と手記を読んで(3)

2020年04月05日 | 身辺雑記
 週刊文春の今週号に自死した財務省職員・赤木俊夫さん関係の第3報が載った。今回は赤木さんの人となりを伝えるもので、一言でいえば、生真面目で明るく、奥さまと幸せな家庭を築いていた人のようだ。だが、こんな要約ではなく、できれば記事を読んでほしい。ディテールから伝わるものが大事だ。それを読むと、赤木さんが身近に感じられる。

 同時に、赤木さんだけではなく、奥さまの人柄もわかる。既報を読んだときに感じた「この奥さまはどういうかただろう」という疑問が氷解する。今回の記事で印象に残ったエピソードは、提訴と手記の公開を翌日に控えた今年3月17日に、奥さまと本件のスクープ記者・相澤冬樹氏が、佐川元理財局長の自宅の前を訪れたときのこと。自宅の前で奥さまは、インターホンを押すでもなく、じっと建物を見つめた後で、こう言ったそうだ。「佐川さんもこの家に住むご家族も、もう幸せではないんでしょうね。何だか佐川さんもかわいそう……」

 そして、踏ん切りをつけたかのように、こう言ったそうだ。「うん、来てよかった。もういいです」と。心に沁みるエピソードだ。奥さまの豊かな人間性が感じられる。

 たしかに佐川氏も被害者だろう。では、だれが加害者なのか。それは十分明らかになっている。本人が認めないだけだ。でも、佐川氏も、何のためらいもなくやってしまったことで加害者となった。その被害者が赤木さんだ。

 今週号では5人のメディアの人々がコメントを寄せている。共同通信社の元政治部長で現客員論説委員の後藤健次氏は、「国会で追及を受けると、安倍総理はよく、「行政府の長として責任を痛感している」と答弁します。要は、部下の不始末を詫びているだけで、自分には落ち度はないと言っているのです。政治家および安倍晋三個人の責任には言及せず、責任の所在をすり替えている。」と言っている。まさに我が意を得たりだ。

 ジャーナリストの森健氏は、「赤木さんは国民のために奉仕すべき、そして法に忠実であるべきだと考えていた自らの存在意義を、捻じ曲げられてしまったことに苦悩したのでしょう。誰のために自分たちは働いているのかと、罪の意識を抱えてしまった。ただ、最後まで不正を許すことが出来ず、手記を遺したのでしょう。」と言っている。

 その手記をもう一度読み返してみた。以前にも増して赤木さんの無念さが身に沁みた。書き出しは生真面目な官僚そのもので、手記というよりも公文書に近いが、後半では自死を前にして動揺したのか、文章が乱れている。その乱れが痛々しい。ともかく最後まで書き終えて、赤木さんは死にむかった。

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