飛び石連休の谷間の9月23日に休みが取れそうだったので、22日から一泊で房総半島の突端の館山に行ってきた。家を出るときは雨。行き当たりばったり電車を乗り継いで館山に向かったが、車窓風景もずっと雨。それでも、宿に着いたら曇りになったので、周辺を一時間ほど歩くことができた。
宿は海に面していた。窓を開けると波の音がする。海は荒れ模様だったので、波の音も激しかった。露天風呂に入ると、目の前に海が見え、波の音が聞こえた。温泉につかってぼんやりしていたら、海の上をトンビが飛んで行った。優雅な飛び方だった。
館山に来るのは2度目だった。前回は快晴だった。夕方、浜辺に出たら、夕日が沈むところだった。目の前に富士山がシルエットになって聳え立ち、オレンジ色の夕日がゆっくり沈んでいった。忘れられない光景だ。
今回は天気が悪かったので、夕日は望むべくもなかった。富士山は見えないし、三浦半島や伊豆半島、大島も見えなかった。見えるのは暗い灰色の雲ばかり。でも、これはこれでよかった。これも自然の風景だった。
夕食のときにビールを飲んで、次は地酒でも飲むかとメニューを見たら、落花生焼酎というものがあった。これは珍しいと、オンザロックで飲んでみた。ほんのりと甘い落花生の香りがした。地魚の刺身を肴に落花生焼酎を飲んでいると、いつの間にか酔いが回ってきて、部屋に戻ったらバタンキューだった。
翌日は青木繁が「海の幸」を描いた家に行ってみようと思っていた。前回来たときも行ったが、そのときは外から見るだけだった。その後、地元の有志の方々や、全国の画家の方々の運動が実って、その家の保存が決まり、今年から『青木繁「海の幸」記念館(小谷家住居)』として公開されているという新聞記事を見かけたからだ。
だが、残念なことに、同館は土・日のみの公開であることを、宿でもらったパンフレットで知った。いずれまた来ることもあるだろうと、今回は寄らずに帰ることにした。
最近は東京~館山の行き帰りはバスが主体のようだ。宿の前のバス停で待っていたら、東京行きのバスが来た。それに乗って座っていれば東京駅まで連れて行ってくれるが、バスでは味気ない気がしたので、館山駅で降り、電車で帰ってきた。
地酒のワンカップを飲みながら、車窓を流れる海の景色を眺めていたら、旅情に浸ることができた。よい旅になった。
(※)青木繁の「海の幸」(Wikipedia)
宿は海に面していた。窓を開けると波の音がする。海は荒れ模様だったので、波の音も激しかった。露天風呂に入ると、目の前に海が見え、波の音が聞こえた。温泉につかってぼんやりしていたら、海の上をトンビが飛んで行った。優雅な飛び方だった。
館山に来るのは2度目だった。前回は快晴だった。夕方、浜辺に出たら、夕日が沈むところだった。目の前に富士山がシルエットになって聳え立ち、オレンジ色の夕日がゆっくり沈んでいった。忘れられない光景だ。
今回は天気が悪かったので、夕日は望むべくもなかった。富士山は見えないし、三浦半島や伊豆半島、大島も見えなかった。見えるのは暗い灰色の雲ばかり。でも、これはこれでよかった。これも自然の風景だった。
夕食のときにビールを飲んで、次は地酒でも飲むかとメニューを見たら、落花生焼酎というものがあった。これは珍しいと、オンザロックで飲んでみた。ほんのりと甘い落花生の香りがした。地魚の刺身を肴に落花生焼酎を飲んでいると、いつの間にか酔いが回ってきて、部屋に戻ったらバタンキューだった。
翌日は青木繁が「海の幸」を描いた家に行ってみようと思っていた。前回来たときも行ったが、そのときは外から見るだけだった。その後、地元の有志の方々や、全国の画家の方々の運動が実って、その家の保存が決まり、今年から『青木繁「海の幸」記念館(小谷家住居)』として公開されているという新聞記事を見かけたからだ。
だが、残念なことに、同館は土・日のみの公開であることを、宿でもらったパンフレットで知った。いずれまた来ることもあるだろうと、今回は寄らずに帰ることにした。
最近は東京~館山の行き帰りはバスが主体のようだ。宿の前のバス停で待っていたら、東京行きのバスが来た。それに乗って座っていれば東京駅まで連れて行ってくれるが、バスでは味気ない気がしたので、館山駅で降り、電車で帰ってきた。
地酒のワンカップを飲みながら、車窓を流れる海の景色を眺めていたら、旅情に浸ることができた。よい旅になった。
(※)青木繁の「海の幸」(Wikipedia)