Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ノット/東響

2022年07月17日 | 音楽
 ノット指揮東響の定期演奏会。1曲目はラヴェルの「海原の小舟」。率直にいって、アンサンブルをもう一歩練り上げてほしかった。どこがどうというのではないが、じっくりした余裕が感じられなかった。

 2曲目はベルクの「七つの初期の歌」。独唱はドイツのソプラノ歌手のユリア・クライター。密度の濃い歌唱だった。オーケストラの伴奏ともども、この作品のニュアンスを隅々まで表現する演奏だった。プロフィールによると、クライターはオペラとリートの両面で、ヨーロッパ各地で活動しているらしい。

 じつは「七つの初期の歌」はわたしの好きな曲だ。いままでは漠然と、初期のベルクの良さが詰まった曲だと思っていたが、沼野雄司氏のプログラム・ノートを読んで、もっと具体的に、わたしの好きな理由が解き明かされたように思った。

 若干長くなるが、プログラム・ノートのポイントの部分を引用すると――この曲は「ベルクが修業時代に書いたピアノ伴奏付歌曲から7つを選び、およそ20年後の1928年に管弦楽伴奏付歌曲に仕立てあげたもの。結果としてこの作品は、20代のベルクが浸っていたロマン派の世界を、40代半ばのベルクが冷徹に見直すという、独特の二重性を孕むこととなった。」として、「原曲の調性はかろうじて維持されているけれども、その可能性は管弦楽によって限界までに拡げられ、どこか世界の果てのような光景を開示する。」としている。

 最後のセンテンスの「世界の果てのような光景」という言葉が、わたしが聴いているこの曲のまさにその姿を的確に言い表しているように感じた。

 3曲目はマーラーの交響曲第5番。何が起きたのか、冒頭のトランペット・ソロでミスが連続した。しかも音が細くて、弱々しく、おどおどした感じに聴こえた。ノットの指揮と呼吸が合っていなかった。それが冒頭だけではなく、第1楽章を通じて感じられた。だが、皮肉なことに、わたしは「もしこのような弱々しい音が意図されたもので、それが弱々しいままに完璧な演奏だったら、いままで聴いたことのないコンセプトの演奏になるかもしれない」と思った。一方、第3楽章を中心としたホルン・ソロは、朗々とした音で、安定感があり、それこそ完璧な演奏だった。

 全体としては彫りが深く、随所に対旋律やハーモニーの層が浮き上がる、スリルにとんだ演奏だった。ノットの頭の中にはこの曲の音像が明瞭かつ揺るぎなく刻まれていることが感じられた。東響もその音像にむかって懸命に食らいついた。果敢にリスクをとった演奏といえる。
(2022.7.16.サントリーホール)
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