Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

夕鶴

2011年02月07日 | 音楽
 新国立劇場がオペラ「夕鶴」を上演した。2000年12月に初演されたプロダクションの再演。わたしはそのときみていないので、今度が初めて。この作品の――少なくともわたしの――イメージを一新する舞台だった。

 この作品をみたのは過去に一度だけ。1994年3月に新宿文化センターで上演された公演だ。指揮は團伊玖磨、演出は鈴木敬介、つうは鮫島有美子。そのときすでにわたしのなかには「国民オペラ」のイメージがあり、それを裏付ける公演だった。

 今回は2度目の「夕鶴」だった。これはもう、歌手も、オーケストラも、演出・美術・衣装・照明・振付も、まったく異なる次元のものだった。一言でいうなら、インターナショナルといってもよい舞台。この作品の芸術性の高さを立証した。

 つうは釜洞祐子さん。ガラスのように繊細なつうだった。与ひょうは経種廉彦さん。お人好しで温かみがあり、どこか憎めない与ひょうだった。運ずは工藤博さん、惣どは峰茂樹さん。ともに民話の世界の味があった。これらの歌手の役づくりには、演出の栗山民也さんの力があずかって大きかったはずだ。

 オーケストラは透明感あふれる演奏をした。東京交響楽団の実力だ。指揮の高関健さんの力も大きかったろう。相対的にみれば単純なスコアだろうが、そこに音楽を感じとり、大切にし、音として提供する誠実さは、この人ならではのもの。

 舞台美術はシンプルで抽象的。床一面に雪が降り積もっていて、オペラの進行中もずっと雪が降っている。幕開きでは雪のむこうを夕日のように淡いオレンジ色の照明が染めている。照明は時の推移をあらわしながら変化する。そのときどきの上品な色にはため息が出るほど。

 このオペラのドラマトゥルギーは、いうまでもなく、つうの純粋な愛と、運ずと惣どの金銭欲との対比にあり、与ひょうが金銭欲に傾くことによってドラマが進行する。この構図はもとの民話ではそれほど明瞭ではなく、原作者の木下順二の創作らしい。その結果、現代でも生々しいリアリティを獲得した。

 いつの日か、この舞台が英語の字幕つきで上演されることを夢見た。このオペラや来年2月に予定されている「沈黙」などは、芸術性の高さやテーマの普遍性によって、海外でも評価されるに値する作品だ。その公演を目当てに世界中からお客さまが訪れることを。
(2011.2.6.新国立劇場)
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