後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔645〕憲法改正へ議運設立(自民の中堅・若手)憲法審の最前線から.傍聴記 特別編(西崎典子さんからのメール)

2023年12月18日 | メール・便り・ミニコミ
 お馴染みの西崎典子さんからのメールを久しぶりに転載させていただきます。たんぽぽ舎のメルマガに掲載されていた「本音のコラム」も読んでください。

◆西崎から[憲法審の最前線から.傍聴記]の宛先の皆さんにBCCでお送りします⦅拡散歓迎⦆。

★このメッセージの主眼.★
法律も守らず裏金作りで底が抜けた自民党に憲法改正の権利はない。
改正の動きにSTOPを! 改憲派の審査会委員にファクス・メール・SNSで
反対の声を届けよう。


【自民の裏金作り】
検察が動き、メディアもこの件で
大騒ぎです。
一方、この件は立件できるか?ーーそれは難しいと言う声も聞こえます。

【市民は追求をやめないで】
17日のサンデーモーニングで
田中優子さんは「検察が刑事罰を立件できなくても、政治責任は(私たちが)追求すべき」
と指摘、他の出演者も「組織ぐるみだ.構造だ.倫理の底が抜けている」等と言いました。

検察が動きをやめる⇒メディアがパタッと報道をやめる⇒国民は忘れる。=これが今までのパターンです。

私たちは忘れないで、政治責任の追及を続けましょう。

【疑惑さなかの憲法審のたくらみ】
議員個々人の裏金作りが明るみに。大問題が噴出するこの時に、
12.7憲法審査会では「改憲への次のステップへ進む。条文案の起草にあたる
機関を作る」提案を与党トップが行い、改憲派は大喜びです。
立憲はそれに口をはさむ余地なし、でした。

来年の定会をこのようにしたくはありません。

【こんな有様に憤る原口一博議員(立憲)】
原口議員のYoutube動画を紹介します。

[底なしの裏金疑惑「自民党憲法改正へ議運設立.
協力に国民運動を展開」
法律を守れない者に憲法を変えられたら、と思うと寒気がする。去れ、国会から] 12.17配信。
https://www.youtube.com/watch?v=al9MDrIPsA8&t=652s

この「議運設立」の元記事は下記のとおりです。2社を紹介します。
●日経の記事
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA1487Q0U3A211C2000000/

●産経の記事
自民中堅・若手が改憲早期実現を目指す議連設立 「強力に国民運動展開」 約60人が入会 - 産経ニュース (sankei.com)

こういう事態に小西洋之、憲法審監事(参議院、立憲)はご自身のニュースで警鐘を鳴らします。
[(改憲派の動きは)改憲に名を借りた憲法規範、法の支配・立憲主義の破壊]だ。

こんな壊憲をさせるわけにはいきません。@@@@@@@「改憲(壊憲)NO!」を突き付けましょう。
(今日はここまで)


 ◆出版とジャニーズ
  数あるジャニーズ本の中で、鹿砦社の本がもっとも公平に
  光も影も余すところなく記述していた

                  斎藤美奈子(文芸評論家)

 そろそろ今年1年の出来事を振り返る季節になった。
 今年の事件として旧ジャニーズ事務所の一件は外せないだろう。
 10月に発売された鹿砦社編集部編『ジャニーズ帝国60年の興亡』は旧
ジャニーズ事務所65年の歴史(1958年〜2023年9月7日)に加え、 週刊
誌記事や裁判記録をもとに1960年代から始まる故ジャニー喜多川氏への
告発の経緯をまとめた労作である。
 北公次『光GENJIへ』(88年)を出版したデータハウスと並ん
で、鹿砦社は「週刊文春」の性虐待告発キャンペーン (99年)以前から
ジャニーズ問題の告発本を出してきた出版社である。だが3月にBBC
がこの件を番組化するまで、表立っては誰も相手にしなかった。両社と
も怪しげな暴露本を出すイエロージャーナリズムと見なされていたため
だろう。
 私もその種の先入観がなかったとはいえない。

 が、事件の経過を調べる過程で『増補新版 ジャニーズ50年史』(鹿
砦社・2016年)を読み、認識を改めた。
 数あるジャニーズ本の中で、この本がもっとも公平に、光も影も余す
ところなく記述していたからだった。
 ジャニーズ告発本が大手出版社から出なかったのはなぜだったのか。
持ち込まれても拒否したのではないか。テレビ局や新聞社だけでなく出
版社も同事務所との蜜月が長かった。その闇を改めて思う。
(11月22日「東京新聞」朝刊21面「本音のコラム」より)

◆永山則夫の訴え
                  鎌田 慧(ルポライター)

 若ものたちが希望を持ちにくい時代になった。そんなとき『永山則夫
小説集成』(全2巻、共和国)が刊行され、読み耽った。
 永山は1965年、高度成長を支えた中卒集団就職者、「金の卵」の一人
として上京した。
 極端な貧困による家庭崩壊、母親のネグレクト、次兄の暴力。それで
も向上心は強かったが、家出、窃盗、密航などの過去が足元をさらった。
逃げるように都会の底辺を流浪、4人を短銃で射殺、「連続殺人魔」と
呼ばれて世間を恐怖させた。
 未成年者の犯行だったが国家の冷酷と言うべきか一審は死刑判決。
 控訴審で無期懲役になった。東京高検が「量刑不当」を申したてて
上告、無理やり、死刑台に引きずり上げた。処刑は1997年8月、48歳に
なっていた。

 獄中にいて少年時代を思いだす自伝的な小説は哀切極まりない。代表
的な作品「木橋」は新日本文学賞への応募作で、選者だったわたしは単
行本の帯に「彼は悲惨な逃走をやめて踏みとどまり、己れの体験を凝視
して『プロレタリアートの運命』として描き出すことに成功した」と書
きつけた。
 永山の苦悩は、ガードマンや運転手など、同じ働く仲間を殺したこと
だった。「凶悪犯となった人間にとって、凶悪犯行を再び行わないため
に死刑は無い方がよい」(『無知の涙』)。この凶悪犯の自暴自棄への
批判は、20歳の時の述懐である。
    (11月28日「東京新聞」朝刊21面「本音のコラム」より)

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