後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔125〕二兎社「ザ・空気」は「歌わせたい男たち」のようには笑えませんでした。

2017年01月25日 | 語り・演劇・音楽
  昨1月24日(火)、東京池袋の東京藝術劇場で二兎社公演「ザ・空気」を鑑賞しました。さすがに今回もチケット完売のようでした。
  私は永井愛作・演出の二兎社公演が大好きで、これまでに「歌わせたい男たち」「書く女」などを劇場で見ています。しかしながら、二兎社公演は根強い人気があるのでチケットがなかなか手に入らず、やむなく「かたりの椅子」や「ら抜きの殺意」などはテレビ観劇でした。
  さて、昼の2時開演。テンポのいい芝居で、息つく暇のない1時間45分があっという間に終わってしまいました。終わった後にはずしりと重い錘のようなものが心の底に降りてきました。登場する5人の2年後はけっこう衝撃的でした。

  ネタバレにならないように「ザ・空気」について触れてみましょう。チラシから情報を取り出してみます。

■二兎社「ザ・空気」
*作・演出:永井愛
*キャスト 田中哲司 若村麻由美 江口のりこ 大窪人衛 木場勝己
〔チラシ〕
(表)上からの圧力? そんなもの、感じたことはないですねぇ
(裏)人気報道番組の放送開始まであと数時間。
  ある“懸念”をきっかけに現場は対応に追われ始める。
  決定権を握るのは・・・・・・空気?

  「人気報道番組の放送開始まであと数時間」の状況設定は、たしか、卒業式を数時間後にひかえた教育現場の「歌わせたい男たち」を想起させます。「歌わせたい男たち」の場合は日の丸・君が代問題を扱ったものですが。
  「ザ・空気」に登場するのは編集長、キャスター、アンカー、ディレクター、編集マンの5人です。放送局上部から番組の一部差し替えが指示されるところからドラマが展開していきます。事件の中で5人の人格や思いがリアルに浮かび上がってきます。
  ドラマの背景として、高市総務大臣の電波停止発言やそれに対するキャスターたちの抗議行動などがあることは間違いありません。
  チラシの「上からの圧力? そんなもの、感じたことはないですねぇ。」というコピーは、フジテレビのアナウンサーが語ったことばに由来しているのでしょうか。

●ライブドアニュースより(2016年5月21日 15時15分)
「高市早苗総務相の「電波停止」発言の影響にフジテレビのアナウンサーが言及」
21日の番組で、高市早苗総務相の「電波停止」発言にフジのアナが言及した
「何か圧力を感じているということは一切ありません」と西山喜久恵アナ
渡辺和洋アナも「影響を受けていないというのが実感」と語った

  「歌わせたい男たち」のように笑えなかったのは、今の日本の現状があまりに深刻すぎて、現在進行形というより、状況が追い越しているからでしょう。
 少し勉強してみるとわかるのですが、放送法というのは憲法に保障されている表現の自由を第一に考えて制定されたものです。条文の後出する「政治的中立」というのは、尊重規定ということです。
 テレビを初めとするジャーナリズムは、権力の暴走を抑止するものでなくてはなりません。その基準は日本国憲法の三本柱と立憲主義の視点からです。

  5人の役者さんはそれぞれ個性的で、実力者揃いでした。おもしろいことに、たしか全員が二兎社の芝居には初参加でした。若村麻由美さんのインタビュー記事が朝日新聞に掲載されていましたね。(20171.19夕刊)
  木場勝己さんの「報道の世界を萎縮させるような総務大臣の発言が取りざたされていましたねぇ。まあ、しかし、政治権力というものはそういうものでしょう。マスメディアを牛耳ろうとしない国家権力なんてありゃしませんよ。」(パンフより)という発言はそのとおりですよね。で、だからどうしますか。

  最後に、パンフに永井さんとマーティン・ファクラーさんの対談が刺激的でした。日本では「発表ジャーナリズム」が主で「調査報道」が従になっているということです。「権力の監視」が弱いようです。そういえば、日本会議についての報道も外国メディアが先行したという事実がありましたね。

  マーティン・ファクラーさんの本を早速読んでみたいですね。

●マーティン・ファクラーの本
『「本当のこと」を伝えない日本の新聞 』マーティン・ファクラー、双葉新書 2012/7
『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』マーティン・ファクラー、双葉新書 2016/2
『世界が認めた「普通でない国」日本』マーティン・ファクラー、祥伝社新書 2016/12
『崖っぷち国家 日本の決断』孫崎 享, マーティン・ファクラー、日本文芸社 2015/2

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