中野笑理子のブログ

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押し寄せる年末

2017年12月21日 | 日記
今年も残すところあと10日あまり。
毎年仕事納めは30日なのだけれど、今年は土曜日なので1日得した気分。
ではあるけれど、残りの2日で2世帯の大掃除やお正月の準備というのは、無理な話です。

なので12月に入ってすぐ、年末特別清掃を実施しました。
目についてもつかなくても今日はココ、今はコレ、というようにチョコマカとにかくこまめに掃除してキレイにする。
一度キレイにした所は心理的に汚しづらいもので、なんとかお正月までもちそうなので大掃除も楽。

お正月の食材の調達もそろそろ少しずつ、買い出しました。
底値と特売日の割引率を天秤にかけて、11月中頃から買い時を見極めるのは難しくもあるけれど、また楽しくもあり。

会社の独身若手組の中には、週末からはクリスマスで騒ぎ、仕事納めの後会社からそのまま海外へという自由満喫の人もいて。
思えば年末年始やゴールデンウィークを海外で、なんて過ごしたことはないけれど、いつかは海外とまではいかずとも温泉旅館で上げ膳据え膳の年末年始を過ごしてみたいと思うのでありました。

物欲

2017年12月20日 | 日記
食材や日用品のものは別として、今年も出来なかった。
服やアクセサリー、化粧品、本などをゆっくり買い物すること。
あてなく商業施設をウィンドウショッピングなんて夢のまた夢。
と言ってもあまり買いたいものも欲しい物もないのですが、会社帰りに梅田に寄ってお店のハシゴをしていた頃がまるで遠い昔のよう。
そんな毎日を過ごしていると物欲もだんだん薄まってきているような気がして、これは無駄遣いしない良い傾向だと嬉しいような悲しいような今日この頃だったのですが。

以前通販で買ったショップのカタログが数日前に来ていましたが、こんなん見たらアカンアカン、と封も開けずにそのままにしておりました。
無駄遣いをしない第一歩は、まず余計なものを見ないこと。
通販カタログは見てもあまり食指が動くことはないのですが、このショップは別格で本当に良いものが載っているのでつい欲しくなってしまう危険なお店。
ものが良いだけでなく値段もかなりするので、気軽に見るのはまさに要注意なのです。

けれど物欲も弱まってきているし、まぁ目の保養としてとかなんとか言い訳しながらカタログを見てみました。
うわ、キャメル混毛布にルームシューズとルームブーツ。
エアウィーヴの寝具一式に象彦の漆椀、白貫入碗に粉引き急須に低座ローチェアにサイドテーブル、遠赤外線ヒーター等々、欲しいものの値段を計算していくと軽く片手どころか両手の指でも足りませんでした。
衰えたと思っていた物欲、まだまだ健在のようであります。

寄り道裏道横の路

2017年12月19日 | 日記
会社を出て駅まで歩く帰り道、母に電話を入れながらヒョイと横路に逸れて裏道を通ります。
真っ直ぐの一本道が最短距離ですが、ほんの数メートルずれただけで景色も歩く人達も匂いも違う裏の道。
例えて言うと表通りはわたせせいぞうさんの描くオフィス街のような感じで、裏道は夕空に電線が絡み合う、つげ義春さんの漫画の一場面のような感じなのです。
どちらも好きなのですが、帰りは裏道を通りたい。

人の行く裏に道あり菊の花

詠み人は中島らもさんです。
裏道を通る時、この句が頭の中に浮かびます。
ほんの5分足らずの寄り道を歩きながら、会社で大きく傾いた自分の中のヤジロベエを均等に、或いはグギギと反対方向に戻すのであります。
そして今日のブログで書くことをぼんやり考えたり、屋根の上で鳴く猫を見上げて話しかけたり、何も考えられずに口をパカーと開けて呆けたように歩いたり。
表通りを歩く勤め人にはまず会わない、少し暗くてひっそりとした地元の住民が歩く道。
この数十メートルが有り難くも、自分の中での切替ポイントになっています。

ついうっかり寄り道を忘れて真っ直ぐ駅まで行ってしまうと、電車の中でもウジウジと仕事のアレコレを思い悩むことになってしまう。
それはイヤなのです。
会社の仕事はそれなりに有り難く思っておりますが、それはそれ、あくまでも就業時間内の話。
実家に行ったらこれまた新たなる戦場で、余計なことを考える時間はない。

この寄り道の時間の隙間での自分の変化は、果たして変身しているのか本来の姿に戻っているのか。
本来の姿に戻っていると信じたい、寒空の下でありました。

無くなる風景

2017年12月18日 | 日記
今住んでいる団地は昭和30年代に建てられた大型団地を建て替えたもので、10年以上前から3区画に分割して現在2区画の建て替えが2年前に完了しました。
残りの1区画も、2年後にはすべて解体される予定です。

googlemapで遡れば今は更地になってしまったかつての実家も写真で見ることが出来るけれど、それも時間の問題で。
四半世紀ぶりに生まれ育った場所に帰って来たけれど、昔の風景とはガラリと変わった町を見て何と言っていいのかわからない気持ちを常に感じています。
建物も老朽化し住民も高齢者が多くなり、新しく建て替えて若い世帯を取り込むという方針はもっともなことで、それは仕方のないことなのです。
けれど毎日暮らしていると、寂しいとか無常を感じるというのでもなく、そのまま残して欲しいというのでもなく、なんとも言葉で言い表せない曰く言い難い気持ちになってしまうのです。

昨日お天気が良かったので、買い物のついでに昔のまま残っている区画を写真に撮って回りました。
写真に撮ったところでそこはかつて自分が住んでいた所ではないけれど、撮らずにはいられなかったのです。
この気持ちは何なのだろう。
寂寥でもなく諦めでもなく、悲しいでもないけれどけして嬉しくもない。
自分でもはっきり解りません。
何なのでしょうね。

今は見ることも少ない昭和を感じる公園。
2年後にはもうありません。

ご飯がなければお餅を食べればいいじゃないの!

2017年12月17日 | 日記
今日は毎年恒例の自治会の年末行事、餅つき大会がありました。
母がずっと楽しみにしていたので、着ぶくれの上にマフラー手袋毛糸の帽子という重装備をさせて行ってきました。
行ってみると晴天の下に長蛇の列。
薪の火で蒸し上げた餅米をアチアチアチと石臼に移し、ペッタンペッタンといい音が聞こえます。
長蛇の列でも石臼3台で搗いているのでどんどん列は進み、程なく搗きたての柔らかい丸餅を手にすることが出来ました。
餅取り粉(コーンスターチ)をまぶしていても、搗きたての温かさの蒸気で持ち帰る間にもくっついてしまいそうなお餅。
母は喉に詰まらせることもなく、美味しい美味しいと無事にお餅をふたつもたいらげたのでした。

夜になってもまだ柔らかいお餅。
うっかりではなく、今日はそのつもりでご飯を炊いていませんでした。
え~っ今日ご飯ないの?
という家族にお餅をチーズ磯辺巻き、明太子チーズ磯辺巻き、スープに入れた雑煮風などにして出しました。
おかずはちゃんと作りました。