昨日のPFUはKUROBE相手にストレート勝ち。鍋谷選手が相手をよく見た柔らかいプレーで良かったですが、なんと言ってもサービスエース3本の田原愛里セッター。抑制しながらも、相手に主導権を握らせない、安定したトス回しが目立ちました。あとはセンターの綿引選手とのタイミングだけですね (;^ω^)
実は、第3セット前の練習中に、よそ見してたらガンと音がしてKUROBEの選手が弾いたボールが目の前に(ライブ映像 1
:17`頃)。とっさにトスの形に手を組んで顔面衝突を回避。一段下のさいたまの読者の肩に落ちました。拾って投げるときに、ミカサのボールのスキンが変わっているのに気が付きました。つるつると硬いのではなく、しっとり系だったのです。それでも指紋のない自分には滑るスキンですが (@@;)
ミカサは三笠でピラミッド。夜に金沢の読者のエクソシスト(悪魔祓い)を予定してたので、自然に手も三角の目を作ったのだと思います。エクソシストと言っても、映画のあれは駄目で、聖書の文言と水だけで良いのです。
御父と御子イエス・キリストと聖霊の名において命じる「サタンよ去れ」
「」部分は三回繰り返しますが、文言は「病魔よ去れ」や「悪霊共よ退け」などを組み合わせます。これで1セット。清めた水を用意して、唱えたあとに一口飲む。これを朝晩3セット繰り返す。あくびや吐くのは我慢しない。悪いのが出ていっている現象だからです。これを本人にやらせるのです。
金沢の読者の板取りが気持ち悪くて、特に卍に組むことに最後まで執着してた。その理由もわかりました。亡くなった娘さんの仏壇が置いてあったのです。線香まで立てて (;´Д`)
三人の同行読者の一人は、何度かこの読者の家に泊まったことがあり、そのときは仏壇はなかったそうです。仏壇と神道のお守りとを一緒にするから神が怒った。仏教だけではなくキリスト教の一派でも神は怒るのです (# ゚Д゚)
仏教は戒名と葬式で金を稼ぐシステムです。しかし、仏陀の頃は戒名も経典も葬式もなかった。仏教の儀式は全部、仏陀=釈迦とは関係のない後世の創作なのです。ちっとも有り難くない。
そもそも、南無妙法蓮華経とは、法華経という経典を崇める言葉で、キリスト教ならマタイ伝のようなものです。マタイ伝、マタイ伝、マタイ伝‥と永遠に繰り返してたら馬鹿と思われるでしょう。南無妙法蓮華経、縮めるとナンマイダの南無阿弥陀仏も同じなのです。何万編唱えても中身を知らなかったら意味がない。もっとも、中身は後世に作られた釈迦(仏陀)の物語ですけど。
カソリックも、洗礼名という戒名と同じ欺瞞で成り立っています。聖書のどこを読んでも洗礼名なんか出てきません。カソリックの権威付けのための悪魔の知恵なのです。だから、モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)などでは洗礼名はつけません。天理教も戒名のようなものはなく、生前と同じ名前で祀られます。
ほとんどの宗教は集金システムが命で、戒名も洗礼名もシステムの一部。「我々の組織は本名では活動しません」の飛鳥昭雄氏は、実はちゃんと聖書に忠実なのです。だから、僕も読者も本名ではなくハンドルネームで書き込んでいるわけで、カソリックには理解できない聖書の奥義なんですね (^_^;)
同行した読者はそれぞれ、手の痺れや骨がずれたような腰痛があったそうですが、金沢から戻る時には症状は軽減してたそうです。霊格の高い人は身代わりの犠牲になるから (^ω^)
なお、初代・若乃花の得意技が仏壇返し。ちゃぶ台返しより凄いですが、正式には呼び戻しという技なのです (ノ`Д´)ノ彡┻━┻
実は、第3セット前の練習中に、よそ見してたらガンと音がしてKUROBEの選手が弾いたボールが目の前に(ライブ映像 1
:17`頃)。とっさにトスの形に手を組んで顔面衝突を回避。一段下のさいたまの読者の肩に落ちました。拾って投げるときに、ミカサのボールのスキンが変わっているのに気が付きました。つるつると硬いのではなく、しっとり系だったのです。それでも指紋のない自分には滑るスキンですが (@@;)
ミカサは三笠でピラミッド。夜に金沢の読者のエクソシスト(悪魔祓い)を予定してたので、自然に手も三角の目を作ったのだと思います。エクソシストと言っても、映画のあれは駄目で、聖書の文言と水だけで良いのです。
御父と御子イエス・キリストと聖霊の名において命じる「サタンよ去れ」
「」部分は三回繰り返しますが、文言は「病魔よ去れ」や「悪霊共よ退け」などを組み合わせます。これで1セット。清めた水を用意して、唱えたあとに一口飲む。これを朝晩3セット繰り返す。あくびや吐くのは我慢しない。悪いのが出ていっている現象だからです。これを本人にやらせるのです。
金沢の読者の板取りが気持ち悪くて、特に卍に組むことに最後まで執着してた。その理由もわかりました。亡くなった娘さんの仏壇が置いてあったのです。線香まで立てて (;´Д`)
三人の同行読者の一人は、何度かこの読者の家に泊まったことがあり、そのときは仏壇はなかったそうです。仏壇と神道のお守りとを一緒にするから神が怒った。仏教だけではなくキリスト教の一派でも神は怒るのです (# ゚Д゚)
仏教は戒名と葬式で金を稼ぐシステムです。しかし、仏陀の頃は戒名も経典も葬式もなかった。仏教の儀式は全部、仏陀=釈迦とは関係のない後世の創作なのです。ちっとも有り難くない。
そもそも、南無妙法蓮華経とは、法華経という経典を崇める言葉で、キリスト教ならマタイ伝のようなものです。マタイ伝、マタイ伝、マタイ伝‥と永遠に繰り返してたら馬鹿と思われるでしょう。南無妙法蓮華経、縮めるとナンマイダの南無阿弥陀仏も同じなのです。何万編唱えても中身を知らなかったら意味がない。もっとも、中身は後世に作られた釈迦(仏陀)の物語ですけど。
カソリックも、洗礼名という戒名と同じ欺瞞で成り立っています。聖書のどこを読んでも洗礼名なんか出てきません。カソリックの権威付けのための悪魔の知恵なのです。だから、モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)などでは洗礼名はつけません。天理教も戒名のようなものはなく、生前と同じ名前で祀られます。
ほとんどの宗教は集金システムが命で、戒名も洗礼名もシステムの一部。「我々の組織は本名では活動しません」の飛鳥昭雄氏は、実はちゃんと聖書に忠実なのです。だから、僕も読者も本名ではなくハンドルネームで書き込んでいるわけで、カソリックには理解できない聖書の奥義なんですね (^_^;)
同行した読者はそれぞれ、手の痺れや骨がずれたような腰痛があったそうですが、金沢から戻る時には症状は軽減してたそうです。霊格の高い人は身代わりの犠牲になるから (^ω^)
なお、初代・若乃花の得意技が仏壇返し。ちゃぶ台返しより凄いですが、正式には呼び戻しという技なのです (ノ`Д´)ノ彡┻━┻