平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

聖書なんて何でも良い

2014-08-24 00:25:37 | Weblog
 鹿沼市のフォレストアリーナで開催された、長崎国体バレーボール成年女子関東予選に行ってきました。今回の画像は初めがデリケートなので、内容も含めてSNS内だけで公開しますが、雨の天気予報が外れて少し涼しいくらいの好天気。体育館の内部は蒸し風呂状態だったのですが、最高の形を見届けて帰ることが出来ました。諦めていた15時台の特急券も取れ、空には虹か出て、海老名を過ぎて山にバラ色の夕焼け。こんな美しい色の夕焼けも初めてです。

 さて、読者より求めるべき聖書について質問があったので回答。そんなもの何でも良いのです。理由を書きます。

1. 信仰とは実践だから、書かれてあることの一つでも実践することが大事

2. 聖書は何がいいか訊ねてきた人の大半は長続きしない

3. その理由は、自分を飾るファッションや宗教的グッズ、偽善を隠すためのツールとして聖書を利用しようとするから

4. 捨ててあったボロ聖書で確かな信仰に目覚めた人がいる

5. 聖書の本当に大切なところは、改竄されることを前提に書かれており、これはカッバーラの正しい知識で読み解くしか無い

6. そのためには、本当に純粋になるしか方法はなく、不純な者がカッバーラに近付けば精神崩壊する

7. 精神崩壊は地獄に落ちることと同意なので、元に戻ることは難しい

8. 生命の樹と死の樹は同一の柱(根)を共有するが正反対に位置するもので、その同一の柱(根)こそ聖書である

 それから、僕のSNSは同好会でもファンクラブでもないので、選んだ人に勉強させるために敢えて、本来はサタンに属す人を入会させることがあります。そのような人は他のメンバーをオカルトグッズなどで洗脳しようとするので分かりますが、最後には本性を現して、過去の自分の言動を否定して魔女のようになります。要するに、前は猫をかぶっていたことがバレるだけなのですが。

 死の樹は自分の努力で脱出すべきもので、垂れ下がる蜘蛛の糸にすがりつこうとしても、その糸はサタンが降ろしているものなので無駄なのです。最初は努力することが大変ですが、そのうちに努力することが楽しくなる。スピーカー作りもホットケーキ作りも、失敗しながら自分の力で問題を解決して上達する。だから喜びがあり、また新たに挑戦したくなるのです。

 このように、努力が楽しくなった人は、死の樹などはとっくに脱出して、知らぬ内に生命の樹の高い所に登っているのです。高い所に登った人は、外界の死の樹を見て恐ろしいと思い、死の樹の住人は生命の木の眩しさに見ることもかなわない。獣のように汚い言葉を吐いて、追い出された恨みを一生持ち続ける。

 鏡を見れば醜い自分がいて、世の中の美しいものを全て憎悪するようになる。このような怪物になったら最後、聖書を読もうが何しようが無駄なのです。地獄に落ちる者は喜んで堕ちる。誰も強制したわけではなく、醜い心のままに歩んだ結果なのです。今努力している人は、諦めないで続けるとトンネルの向こうに出口が見えてきます。

    エフライム工房 平御幸
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25 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (hinoko2)
2014-08-24 01:34:29
先生 こんばんは。

バレーボールの観戦お疲れ様でした。
美しい虹や夕焼けも見れて、素晴らしい1日を過ごされたようで良かったです( ´∀`)

私はよく失敗しますし、心配になって躊躇する事も多いですが、これからも逃げずに努力したいと思います。
スピーカー作りも、無心で集中してやると楽しいですし、完成した時の喜びは格別です。
Unknown (訓)
2014-08-24 02:04:51
先生 こんばんは

バレーボールの観戦お疲れ様でした。

私の近所も午前中は恐ろしいほどの曇り空でしたが、
午後は晴れ間も見えました。

先生のお言葉に、勇気をいただきました。
ありがとうございます。
hinoko2さん、訓さんへ (平御幸)
2014-08-24 03:37:43
hinoko2さん今晩は。

スバルのコミックにも出ていましたが、自分でやり遂げた仕事は誰にも負けない。イエスの大工精神は、自分で作らないと理解できない奥深さを有しています。

絶対神の、絶対にこれだという強さで物作りができれば、それは自他共に認める作品になると思います。自分も含めて難しい領域ですが。

訓さん今晩は。

天は常に人とともにあり、人を導くために徴を見せることがあります。これは聖書で禁じられている星占いなどと違って、イスラエルを導いた雲の柱のような性格のものです。

一人の悲しみが天を暗くすることもあれば、一人の喜びが晴れ間を呼ぶこともあります。それは天使クラスの人に現れる現象です。

精神的にトンネルに入ったら、後戻りできないと開き直ることです。後戻りできないから進むしかない。だからいつかは出口が見えてくる。出口の光明を信じる強い心が試されるのです。
Unknown (ほんと)
2014-08-24 17:09:55
先生こんにちは。

今のところ聖書は時々しか開かない辞書のような存在になっていますが、聖書は生命の樹と死の樹の柱だということを忘れないようにしたいです。

めんどくさいと、行動しないことの言い訳を考え始めるので、怠惰にならないよう気を付けたいと思います。
ほんとさんへ (平御幸)
2014-08-24 17:23:00
ほんとさんこんにちは。

生命の樹と死の樹をフィギュアスケート界に当てはめれば、実に面白いことが見えてきます。完成したら掲載します。

本当に正しい人には聖書は必要ないのです。読んでも自分と同じ思いが書かれてあると感じるだけ。

だから、聖書は足りない人の道標として必要であり、常に学ぶ姿勢で接することが大切になります。傲慢な人が読んでも毒にしかなりません。
Unknown (ひなた)
2014-08-24 22:29:07
先生こんばんは。

私も色々と足りていない人間なので、聖書を読んで戒められたり、逆に心の重荷を軽くしてもらえたと感じることがあります。特に出エジプトの下りが印象的です。荒野を進むイスラエルの民が、くじけて地獄のエジプトに引き返そうとして神の怒りを買って荒野放浪を余儀なくされるところが、私には神様からの「後戻りするな。前に進め」というメッセージのような気がします。乳と蜜が流れる地に入れると信じて前進したいです。
ひなたさんへ (平御幸)
2014-08-24 22:57:58
ひなたさん今晩は。

モーセの出エジプトが歴史的事実だったからこそ、日本のあちこちで川渡御が受け継がれているんですね。

肉を食べれるなら奴隷に戻っても良い。今の世の中でも、目先の欲望で魂を売り渡す人が幾らでもいます。女性の結婚願望を利用するのが統一協会。

乳と蜜が流れるの意味を考えたことはありますか?
Unknown (ひなた)
2014-08-25 13:36:51
先生こんにちは。
「乳と蜜の流れる地」の意味ですが、フロムの本にこんな記述があります。


エーリッヒ・フロム『愛するということ』

――引用はじめ
 母性愛のこの二つの側面は、聖書の天地創造の物語に、ごく簡潔に表現されている。神は天地を創造し、人間を創造した。これはたんなる世話や生きることの肯定に相当する。だが神は、この最低限の必要性をみたすだけではとどまらない。毎日、自然――そして人間――を創造した後、神は言う、「これでよし」と。母性愛はこの第二段階で、子どもに「生まれてきてよかった」と感じさせる。そして子どもに、たんに長く生きたいという望みだけでなく、人生にたいする愛を教える。
 これと同じ考えは、聖書のまた別の象徴にも表現されているといえよう。約束の地(大地はつねに母の象徴である)は、「乳と蜜の流れる地」として描かれている。乳は愛の第一の側面、すなわち世話と肯定の象徴である。蜜は人生の甘美さや、人生への愛や、生きていることの幸福を象徴している。たいていの母親は「乳」を与えることはできるが、「蜜」を与えることのできる母親はごく少数である。蜜を与えることができるためには、母親はたんなる「良い母親」であるだけではだめで、幸福な人間でなければならないが、そういう母親はめったにいない。 
           ――引用おわり

「乳(チチ)」は母に関する語なのになぜ「チチ(父)」と読むのか疑問でしたが、「御父=神」に関する語であると考えればいいのかも?
ひなたさんへ (平御幸)
2014-08-25 16:09:00
聖書の奇跡を信じていない心理学を持ちだしてどうするのか?

乳も蜜も同じものを指しています。それは何か?
Unknown (ひなた)
2014-08-25 17:08:31
先生へ。
乳=牛でヨセフ?とか蜜は蜂でエフライム?とか考えましたが今の私のレベルではドツボですorz

↓は牧師さんによる聖書研究の資料ですが、

http://www5.ocn.ne.jp/~arisawa/souseiki.files/sousei43.htm

その中に『「蜜」は蜂蜜かシロップ状にしたナツメヤシやブドウの果汁です。』という記述がありました。そこから、創世記49章の「彼の目はぶどう酒によって輝き、歯は乳によって白くなる」という記述でイエスのことかも?とも思いましたが自信はありませんorz

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