平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

ハフナーセレナーデの羇旅(きりょ)

2012-01-14 02:25:47 | 芸術
 モーツァルトの最高傑作の一つである、セレナーデ第7番K.250「ハフナー」は、ハフナー家の結婚式のために書かれた事から、ことさらに楽しい音楽とされてきました。でも、僕が感じるのは「羇旅」という、『万葉集』のテーマの一つに近いものです。決して、楽しい婚礼を盛り上げるためだけの音楽ではありません。

 羇旅というのは、旅のことを指す言葉ですが、羇(き)は羈とも書き、羈の中に馬があることから、馬に関する言葉だと推理できます。意味は「手綱で繋ぎ留める」ですから、旅でも馬を休める必要のある長旅を指すのだろうと思います。生涯の1/3を旅に費やしたモーツァルトは、羇旅の歌を歌わないわけがありません。

 当時の旅行はクッションの悪い馬車ですから、その過酷さは、僕が経験した蒸気機関車による長旅(板敷きの椅子)の比ではありません。しかも、盗賊を避けるために夜は疾走しなくてはなりません。ただでさえ悪い道を、田舎のバスの何倍も揺られて通ったのです。

 しかし、モーツァルトは旅が嫌いだったのでしょうか?僕は、モーツァルトの音楽の中から、最悪のことすら楽しめる感性を見るのです。例えば、ハフナーの第一曲目は4/4拍子で始まりますが、馬車を引く馬がスタート時に歩くときも4/4拍子ではないのでしょうか。

 1小節目と2小節目が馬車のスタートの合図。そこからファゴットとオーボエによる馬のいななきが続き、徐々にスピードを上げて行きます。そして、スピードが乗ると共に石畳の振動が伝わってきます。街から離れるときはちょっとセンチになるけれど、旅先では待っている人を思うと心が浮き立ってくる。

 そんな楽しい旅も、ジェットコースターのような上り下りの連続でスリル満点。天国に昇ったかと思うと地獄に真っ逆さまのような音符の連続。僕が一番好きな第六曲目は、馬がギャロップで走る順調な旅。少し尖った山並みが続く車窓の景色は、澄み切った高原の空気の中に牧畜の農家が点在する。

 山の端の空が浅葱色に変わって行く、なんて神々しく美しい景気だろう。ふと目線を近くに移すと(89小節目)、農家の結婚式が間近に迫ってくる。可愛い娘さんと新郎が着飾って祝福されている。これから訪れるザルツブルクのハフナー家の豪華な結婚式とは違うけど、どうか二人と村の人に幸多かれと願う。でも、もう旅の先へ急がなくてはならない。急げ急げ、到着を待ち焦がれている人がいるのだから。


全音楽譜出版社より、第六曲目アンダンテ 
赤で囲んだ89小節目 この2小節後から一番美しい旋律が続く


 モーツァルトの音楽は、どんなときでも「人」が存在します。常に人に関心を持ち、善悪を超えた所で人という存在を愛する魂。人に無関心な人は、モーツァルトの真の価値に気が付くことはないでしょう。人から神になるための人生。一番大事なのは人に関心を持つこと。そこから、本当の苦しみが生まれ、その苦しみを克服する強い魂が形成されるのです。

 古典派以降の作曲家は、モーツァルトに比べれば自分のことにしか関心のないナルシシストに感じます。美しいものに感動できるのは美しい心を持った人だけ。そのような人は、僕とも違ったモーツァルトを発見して、人生と魂の糧にするでしょう。

      エフライム工房 平御幸
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