平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

性格の悲喜劇

2010-02-08 17:18:08 | Weblog
 ひょんなことから知りあった人に対して、読者限定で応援メッセージを募集しました。ところが、募集要項で、①小さな用紙、②メールの場合はまとめてプリント、③署名はカタカナかローマ字、漢字は振り仮名必要、と書いてあったのに、見事に無視の連続。想定外の編集に疲れました。まあ、イラストのように意気込みで紙が大きくなる分には笑って済ますことが出来るのですが、自己宣伝の長文は流石に見逃すことは出来ません。

 具体的な編集方法ですが、そのままではプリントスクリーン(モニター画面を写真にする機能)できないエクセル形式の場合は、テキスト形式に貼り付けてからプリントスクリーンで画像にします。フォントの属性がバラバラのメールの場合も、プリントスクリーンで画像にしてから編集用のWordで編集します。形式が違うものを同一の紙面に再構成する際は、このように画像にすると楽なのです。②のメールの場合はまとめてプリントという条件で予定したように、11人分のメッセージがA4二枚に収まりました。

 ところで、ナジェに先のように想定外が起こるのかを分析していたら、意外にも古代史の熱心さに比例していると分かりました。学歴や社会的なポストなどではなく、僕の古代史を熱心に読んでいる読者なら、阿吽の呼吸で僕の要求に応えられるのです。僕の古代史は、そういう意味でも人間形成に影響を与えているのです。その理由として考えられるのは文体です。

 僕の古代史は、ギリギリまで言葉を削っているので、言外の意を酌む能力が求められます。字面だけを追う人には難解ですが、古文や文学的なレトリック(修辞)に慣れている人には読みやすい文章なのです。従って、僕の古代史をろくに読んでいない人は、僕のメールに対しても読み飛ばすというか、肝心なことを見落として、前記のような想定外に走ることになります。特に、配慮とか気配りだとか、そういうものが足りない人は僕の古代史を読むべきです。

 さて、想定外が起こる要因ですが、一番大きなものは性格にあります。体育系の大雑把な神経の人や、逆に自分にしか関心のないナルシシズムの強い人は、機微というデリケートなものが理解できずに、周囲との調和を乱しやすいのです。今時の言葉で言えばKY、すなわち空気が読めないというやつですね。「富士には月見草がよく似合う」という名言で有名な太宰治は、『お伽草子(おとぎぞうし)』という小説を書き、性格の悲喜劇というテーマでここら辺を掘り下げています。

 太宰の描く性格の悲喜劇とは、古典の御伽草子(おとぎぞうし)などに登場する、憎まれ役の爺さん婆さんが、実は自らの性格に翻弄されて、結果的に悪役を立ち回ることになる(悲喜劇の)主人公ではないかと見る視点です。例えば、『カチカチ山』の狸は、16才の処女のウサギに片恋慕する中年の太った狸という設定です。狸は悪いことをした訳ではなく、冷徹な処女の神経に障ったので殺されるというストーリーです。今の女子高生にもいますよね、処女ではないけどこういう怖い子。

 『瘤取り』に出てくる悪いお爺さんも、鬼が怖がるほどにKYな性格で、瘤を取って貰うつもりで一世一代の踊りを鬼に披露しますが、力みすぎで怖れられ、逆に瘤を献上されてしまうという悲喜劇。太宰は、善悪ではなく、性格のもたらす悲喜劇として人間を見つめているのです。太宰は古典にネタを取りましたが、現代なら韓国を眺めるだけでネタに困ることはありません。仮に太宰が生きていたとして、毎日のように命がけでネタを提供してくれる韓国民は、太宰の目にはどの様に映るのか興味深いですね。

      エフライム工房 平御幸
コメント (2)
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