平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

浅田真央の仏顔~『仏教の役割』

2008-01-24 18:43:28 | Weblog
 真央ちゃんは仏像に似ていると評判で、それで真央菩薩とも呼ばれます。ところが、仏教については多くの誤解があり、その本質を理解している人はほとんどいません。極一部の人だけが、キリスト教との関係に気が付いているだけです。でもそれは仕方がありませんね。なぜならば、奥義を神が末の日のために封印してきたからです。

 末日の預言者というものは、今まで聞いたことも見たこともない事を顕(あらわ)し、それでいて真理を解き明かす知恵に満ちていなくてはなりません。聞いたことも見たこともない話でも、それが理に適っていなくて矛盾だらけなら、それは神ではなくサタンから来ているのです。ローマ法王がどんなに権力を持っていようと、彼には新たな真理を提示する能力はありません。それは、彼が本当のイスラエルではなく、ただの異邦人である宿命なのです。異邦人の道は、福音を受け入れても最後まで異邦人なのです。

 さて、仏教というのは紀元前6世紀に仏陀によって広められた教えですが、元々は宗教と言うより哲学としての性格が強いものでした。哲学というと難しく聞こえますが、何のことはない、あるテーマをどれだけ掘り下げて考えられるかという事なのです。ですから、偉大な哲学者は分かりやすく話す必要があるのです。なぜなら、本人が分かっていないものは難解に話すしかないからです。僕の古代史は小学生でも理解できますが、それは僕が良く本質を理解している証拠です。経済学が難解なのは、経済を独占しようとする一部の悪巧みの結果に過ぎないのです。

 仏教はインドと誤解する人が多いのですが、実は泥婆国(ネパール)のダンという村が起源です。それで、仏教に連なる人(檀家)をダーナーというのですが、今までに何遍も述べてきたように、ダン族はイスラエル12部族の名前です。パレスティナ定住前後のイスラエルでは、鋳た像や刻んだ像を拝み、それに香を捧げていたのです。そのまんま仏教ですよね。しかし、難しく考える学者は、二つのダンが同じものと考えることが出来ないのです。

 ダン族は契約の箱を造り、ソロモン神殿を造り、その木工技術によって名を上げた部族です。そして彼らが、鋳た像と刻んだ像を祭司と共に奪ったという記録があるのです。詳しくは、エフライム工房『カインをぶら下げている日本人』「10.檀那(ダンナ)さんのルーツ~士師記13章以下より」を御覧下さい。

 旧約聖書で有名なエピソードの一つである『サムソンとデリラ』ですが、このサムソンはダン族なのです。ですから、安藤さんが今シーズンのプログラムで異邦人の女デリラの役をこなすのは疑問です。昨年のシェエラザードは、旧約聖書の『ルツ記』に登場するルツがモデルなので問題はなかったのです。また、本当のイスラエルは耳輪をしません。神との契約があるからです。真央ちゃんが耳に穴を開けないのは良いことなのです。日本人に耳輪やピアスの習慣がなかったのもこのためです。

 真央ちゃんの祖先エフライムは、兄のマナセと共にナイルの上下で象徴され、父のヨセフから順番に、青ナイル、白ナイル、赤ナイル、に投影されます。このトリコロール(三色)の伝統がフランスやロシアの国旗となり、日本の国旗にもなっているのです。そして、上下のナイル川は、一本の流れで一神教のユダヤ教を、三叉の流れで天の三神を掲げるキリスト教を暗示しているのです。エフライムはキリストの雛形だったのですが、それはギリシャのセラピス神という姿に受け継がれます。実際、セラピス神は、エフライムの娘セラと、下エジプトの牛神アピスの合成だったのです。

 上下ナイルが暗示するユダヤ教とキリスト教ですが、キリスト教以前には、上下ナイルは分裂した南ユダ王国のユダヤ教と、金の子牛を祭った北イスラエル王国の新ユダヤ教をも暗示するのです。そして、この北イスラエル発祥の牛をシンボルとした、ヨセフがモデルのアメン神にルーツを持つ宗教が、鋳た像と刻んだ像と祭司と共にダン族に携えられ、都落ちのネパールで花開いたのです。これが牛を神聖視する仏教の始まりです。

 仏教の根というのは、ソロモン時代からの圧政に反抗したエフライム族を中心とした「失われた十支族」のための救世主教なのです。しかし、先祖のエフライムがイエスの雛形であった必然から、イエスの教えを積極的に取り入れることになります。それで、中国では景教(ネストリウス派キリスト教)などと区別が付かなくなる現象が起こりますが、日本の神道は原始キリスト教なので、共存という形で二つの救世主教が国を治めることになったのです。

 このように、仏教そのものに、イスラエルの救世主待望思想が折り込み済みなのです。それにより、仏教は近未来のイエスの再臨に際しても、大きな齟齬(そご)をきたすことなく受け入れられるのです。真央ちゃんは、北イスラエルの救世主思想の象徴として、末日のこの世において、世界に光を灯す役割を担っています。偉大なエフライムがイエスの雛形であった事を、世界中の人はやがて知ることになるのです。その時、正しい仏教は、ソロモンに反抗してまで目指した理想を実現できるかも知れませんね。

     エフライム工房 平御幸
コメント (7)
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