世界選手権まで間がありますので、ここで真央ちゃんの血統背景を説明したいと思います。競馬もそろそろクラシックシーズンが近付き、有力馬が出揃う季節となってきました。えっ、競馬とフィギュアスケートは違うって?ノンノン、昨年に僕が期待したオーシャンエイプスはマヤノトップガンが父ですが、マヤノトップガンのお父さんはブライアンズタイムなのです。そして、昨年の皐月賞を勝ったヴィクトリーもブライアンズタイムがお父さん。ここに、ブライアン(オーサー)がコーチとなった韓国選手の勝利が約束されていたのです。ですから、競馬的に真央ちゃんの血統分析をすることは無駄ではないのです。
と無理矢理こじつけましたが、真央ちゃんは北イスラエルの王族であると、今までに何度も書いてきました。でも、競馬の血統表のようなものは提示してこなかったので、イマイチ分かり難いところがありました。それで、資料としても必要なので、ここで重い腰を上げて作成という訳です。また、ファンの先祖も分かるかも知れないので一石二鳥です。
最初に、大本となるイスラエルの12部族の構成です。エジプト名クフ(工夫の語源)と言われたヤコブには4人の妻がおり、それぞれの子供はこうなっています。番号は生まれた順です。
姉レアの子 ①ルベン、②シメオン、③レビ、④ユダ、⑨イッサカル、⑩ゼブルン
レアの仕え女ジルパの子 ⑦ガド、⑧アセル
妹ラケルの子 ⑪ヨセフ(息子のマナセとエフライムに分裂)、⑫ベニヤミン
ラケルの仕え女ビルハの子 ⑤ダン、⑥ナフタリ
ところが、この子供達がそのままイスラエルの12部族を構成したのではありません。3番目のレビが祭司として抜け、11番目のヨセフの代わりにヨセフの二人の息子が加わったのです。そして、ユダ族のソロモン王が亡くなって後にイスラエルが分裂し、ユダ族とベニヤミン族からなる南ユダ王国と、エフライム族を中心とした他の10部族からなる北イスラエル王国が誕生します。そして、真央ちゃんはこの北イスラエル王国の王族であるエフライムの末裔なのです。主な血統を解説しましょう。
南ユダ王国
ユダ族~ダビデ、ソロモン…イエスの系譜。ユダとは「委ねる」という意味で、神が委ねた部族がユダ族なのです。これはイエスの出現で成就されました。ユダ族のシンボルは獅子。獅子のヒエログリフの読みはハタで、秦氏の名前の由来となっていますが、秦の字は出身地であるローマ(大秦)帝国を指します。朝鮮半島の新羅は新ローマ(羅馬)という意味ですが、南ユダ系の秦氏が日本に入れなかった頃に滞在した場所で、穢(ワイ)族にルーツを持つ今の朝鮮人とは関係ありません。ハタの意味は「最初」なので、行進の先頭に掲げる旗の語源となります。実際、ユダ族は行進の先頭と決まっていたのです。契約の箱を収めた幕屋の細工はユダ族が担当したので、織物を「ハタのトリブ(ラテン語の部族)」と言い習わし、これが服部という名前になっていますが、畑、羽田、山端、畠山なども同様にユダ族です。狛犬は原型が獅子なので、これでユダ族の足跡が辿れます。
ベニヤミン族~ヨセフの弟の血統でエジプトでは特別扱いされました。イスラエル初代王サウルで有名ですが、舒明、斉明など、ベニヤミンから明(ミン)と付く天皇はこの系統で、ユダ族最後の王はイエスなのでユダ族の天皇は存在しない事になっています(聖徳太子の死の真相)。 ベニヤミンは古代のトルコである突厥(タタール)の一部だったので、鉄の代名詞となった多々羅、タリと読む足利、タタと読む多田や多、派生した大友、大伴、伴、などはベニヤミンとなります。垂井などのタルも同様です。面白いのは土御門で、これは突厥の頭領であった土門(チュメン)の美称形です。写真家の土門拳は典型的なベニヤミンだったのです。
北イスラエル王国
エフライム族~エフライムは下ナイルの三叉を意味し、世界進出などの枝分かれを象徴する名前です。また、上ナイルを意味する兄のマナセとセットとなり、ユダヤ教に対するキリスト教、キリスト教に対する仏教などの位置関係を構築します。エフライムは偉人が多いのですが、最初に有名になったのはモーセの次の預言者であるヨシュアです。
ソロモンの息子レハベアムの圧政に不満を抱いたエフライム族のヤラベアムは、10部族のリーダーとして北イスラエル王国を建国し、臣民の心が南ユダのエルサレムに向かわないようにと、ダンとベテルに金の子牛像を安置し拝ませます。これが神に呪われて息子の代で途絶えます。これが日本では、天武以降の武の系譜の天皇で、南朝として明治時代に復活します。明治は名前は南ユダの明の系譜ですが、中身は北イスラエルの武の系譜だったのです。武、竹、嶽などを名前に持つ人は、エフライム族なのです。紛らわしいですが、滝や多喜などはターキーでトルコを表しますから、ベニヤミンということになります。
イッサカル族~エフライム族のヤラベアムは息子のナダブで王族を追われ、イッサカル族のアメヤの子バアシャが王となりますが、二年でジムリに殺されます。これ以降、北イスラエルの王家は出自が分からなくなります。ところが、日本には元正などの正の系譜がありますが、これは正の五画でイッサカル(五酒、五盛)の五を暗示していたためと見ることが出来ます。すると、大正天皇はイッサカル族の天皇となります。これはまだ古代史でも発表していないので、今回が初めての公表となります。皇后様の正田家は、五木田などと同じくイッサカル族なのでしょう。
ダン族~モーセの指示で契約の箱や祭壇を造り、ソロモン神殿も造った工人の集団。イスラエルの行進では殿(しんがり=尻)を務めたので、ここからダン族が引いた車をダンジリと言います。岸和田のダンジリは木工技能を神に捧げるダン族の祭りなので、ユダ族の扇ではなくて団扇(うちわ)で扇(あお)ぐ訳です。ダン族は、像を安置する仏壇や、戒を授ける戒壇なども手掛けるように、彼らが関わったものは全てダンが付きます。特に、仏教の檀家の語源であるダーナーは「ダンの」という意味なので、お釈迦様がダン族だと分かるのですが、昔のイスラエルでは刻んだ像や鋳た像を拝んでいたのです。作曲家の団伊久磨が典型的なダン族です。
レビ族~一般に祭司としてイスラエルの12部族の外に置かれますが、7世紀の白人国家ハザールがユダヤ教に改宗し、ここに白人ユダヤ教集団の通称ユダヤ人が生まれます。しかし、祭司だけはイスラエルから連れてきたので、ユダヤ人=祭司レビの子孫という構図も間違いではありません。日本では、モーセ系の物部氏や、兄アロン系の藤原氏などがあり、安藤選手は藤原なのでマナセに付帯したアロン系と分かります。古来から神道を司る賀茂氏や佐伯氏、藤が付く藤原の末裔もレビ族ですが、藤原はマナセ族が主体なので、こちらの可能性も残ります。
ところで、ダンに金の子牛を安置したのは、エジプト時代にアメン神として祭られたヨセフのシンボルが牛だったからです。出エジプトの時、モーセがいない間に兄のアロンが金の子牛を鋳たのは、偉大なるヨセフを拝んだことになります。それをモーセが「牛を拝んではならない=牛勿(ナカレ)」と激怒したので、これが物部氏の名前となります。北イスラエル王国の初代王ヤラベアムは、ヨセフの子エフライムの子孫だったので、祖先を祭った訳です。エフライムはトート神として尊いの語源でもあったので、北イスラエル独自の教えは、やがて鋳た像と共にダン族に携えられて、ネパールで北イスラエルの救世主教である仏教となります。エフライムのイムと書いて仏ですから、仏とはエフライムのことだったのです。それで、仏像の尊顔はエフライム(エジプトではメンカウラー像)の丸顔に刻まれ、縮れ毛で黒人の国であったエジプトに根があることを伝えることになります。何事にも理由があるのです。しかし、北イスラエル王国では祭司を独自に立てたので、レビ族は職にあぶれます。これが、仏教の原型と共にネパールやインドに渡った理由ではないでしょうか。宗教的特権階級のバラモンはレビ族ですね。
このように、主要なイスラエルの血統は名前により分かるようになっています。エフライムの末裔である平家から出た三浦の家紋が、クフのピラミッドに刻まれている理由もここにあるのです。北イスラエル王国ではエフライムの統治は二代でしたが、実際には世に隠れながら存続してきているのです。浅田真央の浅は、正しくは淺で旁(つくり)が二段重ねの戈(ほこ)になっています。エフライムは武人で有名ですから、エフライムの名にふさわしいということになりますが、続きは次回の『仏教の役割』で書きたいと思います。
小改訂1/21 参考 エフライム工房より『私だけの古代史・第三部法隆寺編』
エフライム工房 平御幸
と無理矢理こじつけましたが、真央ちゃんは北イスラエルの王族であると、今までに何度も書いてきました。でも、競馬の血統表のようなものは提示してこなかったので、イマイチ分かり難いところがありました。それで、資料としても必要なので、ここで重い腰を上げて作成という訳です。また、ファンの先祖も分かるかも知れないので一石二鳥です。
最初に、大本となるイスラエルの12部族の構成です。エジプト名クフ(工夫の語源)と言われたヤコブには4人の妻がおり、それぞれの子供はこうなっています。番号は生まれた順です。
姉レアの子 ①ルベン、②シメオン、③レビ、④ユダ、⑨イッサカル、⑩ゼブルン
レアの仕え女ジルパの子 ⑦ガド、⑧アセル
妹ラケルの子 ⑪ヨセフ(息子のマナセとエフライムに分裂)、⑫ベニヤミン
ラケルの仕え女ビルハの子 ⑤ダン、⑥ナフタリ
ところが、この子供達がそのままイスラエルの12部族を構成したのではありません。3番目のレビが祭司として抜け、11番目のヨセフの代わりにヨセフの二人の息子が加わったのです。そして、ユダ族のソロモン王が亡くなって後にイスラエルが分裂し、ユダ族とベニヤミン族からなる南ユダ王国と、エフライム族を中心とした他の10部族からなる北イスラエル王国が誕生します。そして、真央ちゃんはこの北イスラエル王国の王族であるエフライムの末裔なのです。主な血統を解説しましょう。
南ユダ王国
ユダ族~ダビデ、ソロモン…イエスの系譜。ユダとは「委ねる」という意味で、神が委ねた部族がユダ族なのです。これはイエスの出現で成就されました。ユダ族のシンボルは獅子。獅子のヒエログリフの読みはハタで、秦氏の名前の由来となっていますが、秦の字は出身地であるローマ(大秦)帝国を指します。朝鮮半島の新羅は新ローマ(羅馬)という意味ですが、南ユダ系の秦氏が日本に入れなかった頃に滞在した場所で、穢(ワイ)族にルーツを持つ今の朝鮮人とは関係ありません。ハタの意味は「最初」なので、行進の先頭に掲げる旗の語源となります。実際、ユダ族は行進の先頭と決まっていたのです。契約の箱を収めた幕屋の細工はユダ族が担当したので、織物を「ハタのトリブ(ラテン語の部族)」と言い習わし、これが服部という名前になっていますが、畑、羽田、山端、畠山なども同様にユダ族です。狛犬は原型が獅子なので、これでユダ族の足跡が辿れます。
ベニヤミン族~ヨセフの弟の血統でエジプトでは特別扱いされました。イスラエル初代王サウルで有名ですが、舒明、斉明など、ベニヤミンから明(ミン)と付く天皇はこの系統で、ユダ族最後の王はイエスなのでユダ族の天皇は存在しない事になっています(聖徳太子の死の真相)。 ベニヤミンは古代のトルコである突厥(タタール)の一部だったので、鉄の代名詞となった多々羅、タリと読む足利、タタと読む多田や多、派生した大友、大伴、伴、などはベニヤミンとなります。垂井などのタルも同様です。面白いのは土御門で、これは突厥の頭領であった土門(チュメン)の美称形です。写真家の土門拳は典型的なベニヤミンだったのです。
北イスラエル王国
エフライム族~エフライムは下ナイルの三叉を意味し、世界進出などの枝分かれを象徴する名前です。また、上ナイルを意味する兄のマナセとセットとなり、ユダヤ教に対するキリスト教、キリスト教に対する仏教などの位置関係を構築します。エフライムは偉人が多いのですが、最初に有名になったのはモーセの次の預言者であるヨシュアです。
ソロモンの息子レハベアムの圧政に不満を抱いたエフライム族のヤラベアムは、10部族のリーダーとして北イスラエル王国を建国し、臣民の心が南ユダのエルサレムに向かわないようにと、ダンとベテルに金の子牛像を安置し拝ませます。これが神に呪われて息子の代で途絶えます。これが日本では、天武以降の武の系譜の天皇で、南朝として明治時代に復活します。明治は名前は南ユダの明の系譜ですが、中身は北イスラエルの武の系譜だったのです。武、竹、嶽などを名前に持つ人は、エフライム族なのです。紛らわしいですが、滝や多喜などはターキーでトルコを表しますから、ベニヤミンということになります。
イッサカル族~エフライム族のヤラベアムは息子のナダブで王族を追われ、イッサカル族のアメヤの子バアシャが王となりますが、二年でジムリに殺されます。これ以降、北イスラエルの王家は出自が分からなくなります。ところが、日本には元正などの正の系譜がありますが、これは正の五画でイッサカル(五酒、五盛)の五を暗示していたためと見ることが出来ます。すると、大正天皇はイッサカル族の天皇となります。これはまだ古代史でも発表していないので、今回が初めての公表となります。皇后様の正田家は、五木田などと同じくイッサカル族なのでしょう。
ダン族~モーセの指示で契約の箱や祭壇を造り、ソロモン神殿も造った工人の集団。イスラエルの行進では殿(しんがり=尻)を務めたので、ここからダン族が引いた車をダンジリと言います。岸和田のダンジリは木工技能を神に捧げるダン族の祭りなので、ユダ族の扇ではなくて団扇(うちわ)で扇(あお)ぐ訳です。ダン族は、像を安置する仏壇や、戒を授ける戒壇なども手掛けるように、彼らが関わったものは全てダンが付きます。特に、仏教の檀家の語源であるダーナーは「ダンの」という意味なので、お釈迦様がダン族だと分かるのですが、昔のイスラエルでは刻んだ像や鋳た像を拝んでいたのです。作曲家の団伊久磨が典型的なダン族です。
レビ族~一般に祭司としてイスラエルの12部族の外に置かれますが、7世紀の白人国家ハザールがユダヤ教に改宗し、ここに白人ユダヤ教集団の通称ユダヤ人が生まれます。しかし、祭司だけはイスラエルから連れてきたので、ユダヤ人=祭司レビの子孫という構図も間違いではありません。日本では、モーセ系の物部氏や、兄アロン系の藤原氏などがあり、安藤選手は藤原なのでマナセに付帯したアロン系と分かります。古来から神道を司る賀茂氏や佐伯氏、藤が付く藤原の末裔もレビ族ですが、藤原はマナセ族が主体なので、こちらの可能性も残ります。
ところで、ダンに金の子牛を安置したのは、エジプト時代にアメン神として祭られたヨセフのシンボルが牛だったからです。出エジプトの時、モーセがいない間に兄のアロンが金の子牛を鋳たのは、偉大なるヨセフを拝んだことになります。それをモーセが「牛を拝んではならない=牛勿(ナカレ)」と激怒したので、これが物部氏の名前となります。北イスラエル王国の初代王ヤラベアムは、ヨセフの子エフライムの子孫だったので、祖先を祭った訳です。エフライムはトート神として尊いの語源でもあったので、北イスラエル独自の教えは、やがて鋳た像と共にダン族に携えられて、ネパールで北イスラエルの救世主教である仏教となります。エフライムのイムと書いて仏ですから、仏とはエフライムのことだったのです。それで、仏像の尊顔はエフライム(エジプトではメンカウラー像)の丸顔に刻まれ、縮れ毛で黒人の国であったエジプトに根があることを伝えることになります。何事にも理由があるのです。しかし、北イスラエル王国では祭司を独自に立てたので、レビ族は職にあぶれます。これが、仏教の原型と共にネパールやインドに渡った理由ではないでしょうか。宗教的特権階級のバラモンはレビ族ですね。
このように、主要なイスラエルの血統は名前により分かるようになっています。エフライムの末裔である平家から出た三浦の家紋が、クフのピラミッドに刻まれている理由もここにあるのです。北イスラエル王国ではエフライムの統治は二代でしたが、実際には世に隠れながら存続してきているのです。浅田真央の浅は、正しくは淺で旁(つくり)が二段重ねの戈(ほこ)になっています。エフライムは武人で有名ですから、エフライムの名にふさわしいということになりますが、続きは次回の『仏教の役割』で書きたいと思います。
小改訂1/21 参考 エフライム工房より『私だけの古代史・第三部法隆寺編』
エフライム工房 平御幸