~ 2018年から2022年までの五年間つけられる「五年日記」~
中学校で部活の先生から日記をつけて提出するよう言われて
つけ始めてからずっとつけていた日記だったが、
子供が三人になった頃からぷっつりと書かなくなっていた。

この間、もう自分は死ぬまで日記はつけない、と思っていたのに、
新年を迎えてから急に、なぜか、五年日記が頭に浮かび、
主人の「どうせ三日坊主になるから止めといたら?!」
「せめて三年日記にしたら?!」
そんな言葉を振り切って、早速に買って来た。

一段目が2018年の分、
二段目が2019年の分
三段目が2020年の分
四段目が2021年の分
五段目が2022年の分
五年分の白紙にどんな事柄が書かれていくのだろう・・・
一年後の自分は想像出来ても、
若い時のようには、五年後の自分は想像出来ない。
今は五年後の自分のことは、全く分からないが、
この日記が終わる時には、全てが分かっているのである。
まだ見ぬ自分が、五年後にはそこに書かれている。
そう考えると
白紙だけれど、この日記を持つことによって
五年後の自分と共に生きて行くような、
そんな思いがするのである。
中学校で部活の先生から日記をつけて提出するよう言われて
つけ始めてからずっとつけていた日記だったが、
子供が三人になった頃からぷっつりと書かなくなっていた。

この間、もう自分は死ぬまで日記はつけない、と思っていたのに、
新年を迎えてから急に、なぜか、五年日記が頭に浮かび、
主人の「どうせ三日坊主になるから止めといたら?!」
「せめて三年日記にしたら?!」
そんな言葉を振り切って、早速に買って来た。

一段目が2018年の分、
二段目が2019年の分
三段目が2020年の分
四段目が2021年の分
五段目が2022年の分
五年分の白紙にどんな事柄が書かれていくのだろう・・・
一年後の自分は想像出来ても、
若い時のようには、五年後の自分は想像出来ない。
今は五年後の自分のことは、全く分からないが、
この日記が終わる時には、全てが分かっているのである。
まだ見ぬ自分が、五年後にはそこに書かれている。
そう考えると
白紙だけれど、この日記を持つことによって
五年後の自分と共に生きて行くような、
そんな思いがするのである。